「○○っこ」てカワイイ言い方だ (井手)

2006年夏、宮城県へ研修に伺った際に知った宮城の方言。

 

我が北九州の言葉とは段違いな印象に深く感銘を受けました。

 

この年も関東の梅雨明けは遅く、8月の声を聞いてから。

 

梅雨が明ければ日本全国どこへ行っても暑い、暑い。

 

今年はコロナの影響でどこにも行けませんが、早く終息してくれるのを望みます。

 

この年は、早稲田のハンカチ王子が優勝し、今を時めく大リーガー

 

ヤンキースの田中マー君が準優勝に終わった。

 

あれから14年、もうそんなになるのか。

 

今回はスピンオフバージョンで、つまり、セミナー部分は全部カットして、

 

それ以外にスポットを当て再構成しています。

 

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2006年まだありました,勉強になる話が (井手)

 

彼には葬儀経験はありませんが、弊社でシステム作りに尽力してくれました。

 

その頃、葬祭ディレクター試験の問題作りなどで疑問に思ったことを綴っています。

 

真宗の本願寺派と大谷派が、どこで別れたのか。

 

概論にも書いてないことを調べて書いているようです。

 

葬儀社様は、意外と知らないのでは?

 

読めば、為になると思います。

 

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2006年 記憶に残るエッセイ ④ (井手)

 

「馬の骨」のぼやき (井手 一男)

 

 

 

…ダチョウの子育て…

 

ダチョウの母親は、自分が産んだ卵だけではなく、

 

他のメスが産んだ卵も一緒に抱いて育てるというのをご存知ですか。

 

麗しき母性本能ですよねえ。

 

さらには卵を温めて育てるだけじゃなく、

 

他のメスのヒナまで自分の集団に加えて育てることも珍しくないとか。

 

そのためダチョウの母親は、2050羽のヒナを連れた大集団だそうです。

 

子育てがホントに大変でしょう。(大家族だあ)

 

不思議な行動ですが、ボランティア精神に富んでいると思ったら大間違い。

 

実はとても利己的な発想によるものらしいのです。

 

卵を温める時は、自分の産んだ卵だけはしっかりと見分けて、

 

集団の中心に置くのだそうです。

 

そうすることで、他の動物から卵が狙われた際に・・・外側の卵から食べられますので、

 

一番安全な場所を確保するとか。

 

(確か恐竜にも似たような行動をとるのがいましたね)

 

 

 

考えてみたらダチョウにボランティア精神なんてあるわけもなく(ダチョウに失礼)、

 

かといってダチョウの母親が酷薄なわけでもありません。

 

全て遺伝子のなせる業です。

 

生物は皆、遺伝子によって盲目的にプログラムされたロボットなのです。

 

遺伝子は、全てのマスター・プログラマーですから、

 

自らや種が生き延びることを最優先にプログラムを組んでいます。

 

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2006年 記憶に残るエッセイ ➂ (井手)

 

葬儀司会を終えて

 

 

 

まだまだバリバリで司会に伺っていた頃です。

 

現場が大好きでしたね。

 

大きなお葬式が多くて司会者は引っ張りだこでした。

 

これをチョイスしたのは、浄土宗の引導を覚えておいた方がいいと思ったからです。

 

今でも為になりますね。

 

この時は、阿弥陀経を1巻上げられました。

 

浄土宗としてはやや珍しかったですね。

 

では。

 

 

 

246(ニー・ヨン・ロク)と言えば、お洒落な青山通り・・・

 

と思われるでしょうが、ところがどっこいしょ。

 

246は、千代田区から神奈川県を経由して静岡県沼津市に至る一般国道で、

 

流通のための道路と言うよりは、主に通勤利用が多い生活密着型の道路。

 

渋谷の青山通りはそのごく一部ということだったのだ。

 

(知らなかったよ)

 

246沿いの葬祭ホールだから、行って下さい」

 

別の現場を抱えていた石川から電話で、どうしても断りたくないというのだ。

 

「ダブルブッキング? モテモテだねえ」

 

Iは泣きべそをかいている。

 

「スケジュール空いてますよね」

 

「・・・まあ、何とか」

 

ここはIに貸しを作っておける。

 

(恩を売っとくか・・・ムフフと悪魔の声)

 

 

 

Iから246と言われたら、青山通りしか浮かばなかったぜ。

 

246沿いなら大丈夫と判断した私が甘かった。

 

(相手が1枚上手だったのさ)

 

現場を聞いてビックリ新春スペシャル。

 

246246でも、神奈川県の外れじゃないかー!(失礼)

 

通夜・葬儀と2日間通うのはとても無理。

 

仕方なく、ビジネスホテルを予約した。(参ったね)

 

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コロナでもお葬式で「お別れ」出来るのでは? (井手)

 

ウイルスの実態と合わない対策 過剰な恐怖広げた専門家

 

文中に

 

「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

 

という記事があり、実は私も同じ意見に近いものですから、紹介させてください。

 

 以下、711日 朝日デジタルより抜粋

  

新型コロナウイルスへの対応をめぐり、「専門家」のあり方が問われている。「正しく恐れる」ために欠かせない情報をきちんと示さず、社会や経済の混乱につながっているという。どういうことなのか。国立感染症研究所(感染研)や米疾病対策センター(CDC)などで研究してきたウイルス学者、西村秀一さんに聞いた。

 

 

 ――日本社会の新型コロナへの対応を批判していますね。

 

 「実態と合わない対応が続いていることを危惧しています。亡くなった方を遺族にも会わせずに火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけです。私は『もうやめよう』と提案しています。コロナ対策の委員をしている宮城県の会議でも訴えました」

 

 ――どこが問題ですか?

 

 「まず強調したいのは、病院と一般社会は分けて考えるべきだという点です。いまはスーパーでも病院で使っているフェースシールドを着けていますね。しかし、ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院と一般社会では、ウイルスに遭遇する確率が全然違う。厚生労働省が6月に実施した抗体検査で、東京の保有率は010%でした。そこから推測すれば、街中そこかしこでウイルスに遭うようなことはありません」

 

 ――東京では1200人を超える感染者が出ています。ウイルスが街中にいないと言えますか。

 

 「東京全域を一律に考えるべきではありません。いま感染者が出ている多くは、限られた地域の特定の場所の関連です。市中感染があっても人口1千数百万人に比べればそれでもまだ数は少なく、ウイルスが街に蔓延(まんえん)しているわけじゃない。社会での感染対策として、リスクの高いところからつぶしていくことは可能です」

 

 ――なぜ実態と合わない対策が続いているのでしょう。

 

 「突き詰めて考えると、専門家の責任が大きいのです。例えば、接触感染のリスクが強調され『手で触れる』ことへの恐怖が広まっていますが、ウイルスと細菌の違いが軽視されています。細菌は条件が整えば自己増殖して一般環境で長く残りますが、ウイルスは感染者の体外に出て寄生する細胞が無くなると、少し時間が経てば活性を失う。本当はウイルスは細菌より接触感染のリスクがずっと低いのです。なんでもアルコール消毒をする必要はありません」

 

 ――それでも、「プラスチック面で数日生き残る」という専門家の話を聞くと、やはり心配です。

 

 「確かにプラスチック面では比較的長く生き残るという論文はありますが、それは、面に載せた1万個弱のウイルスが最後の1個まで死ぬのに、34日かかったというものです。ただ、そこにある生のデータを細かく見ると、生きているウイルスは最初の1時間でほぼ10分の1に減っています。ウイルスの初期量が少なければ、もっと短い時間で感染リスクはなくなるのです。私たちは、まるで街中のドアノブに生きたウイルスがうようよいるかのようなイメージを刷り込まれている感じですが、それを証明した人はいません。百歩譲って存在していたとしても、数はそんなに多くないはずです。ですから、この論文の結論をそのまま一般社会に当てはめることは適当ではありません。学術論文を批判的に検証するのが、科学者の基本の『き』。それをもとにした議論が必要です。しかし、このところ『専門家』は論文の前提条件や仮定も飛ばして、そこにある数字だけを右から左へ流すばかりです。それでも世間の人たちは『専門家の言うことだから』と信じて、何でも怖がってしまいます」

 

 

オンラインでインタビューを受ける国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長=2020620日、仙台市宮城野区、小玉重隆撮影

 

 ――リスクが低いと聞いても、不安に感じてしまいます。

 

 「世間の人がそんな不安を抱くのは、専門家がきちんとリスクを評価して、社会にそれを伝えていないことに原因があります。リスク評価の根幹は、具体的な確率を検討することです。例えば、感染者のせきでウイルス1万個が飛んだと仮定しても、多くは空気の流れに乗って散らばり、机などに落下するのは1センチ四方あたり数個。では、それが手に付く数は? 鼻に入る確率は? 時間経過でもウイルスは減る。こう突き詰めるのがリスク評価なのです」

 

 「『可能性がある』と語って人々に対策を求める専門家がメディアで散見されますが、キャスターや記者は『それなら感染する確率はどれぐらい?』と問わなきゃいけない。専門家に課されているのはリスク評価です。『可能性はあります』なんて誰だって言える。専門家なら、リスクがあるかないかという定性的な話をするのでなく、どれくらいあるか定量的に評価しなければなりません」

 

 ――ただ少しでもリスクがあるのなら、対策を取った方が安心ではないでしょうか。

 

 「『安全率』という考え方があります。現存するリスクの範囲で対策を取ると漏れる恐れがあるので、バッファーを設けるようにする。安全率を取るのはいいですが、どこまで取るかが問題です」

 

 「ゼロリスクを求めれば、『念のため』と対策もどんどん大きくなる。しかし、その下で数多くの弊害が出ています。人と人の関わりが無くなったり、差別してしまったり。職を失い、ウイルスでなく、その対策で命を落とす社会的弱者もいる。スーパーで買ったポテトチップの袋までアルコールで拭くのは、ウイルス学者の私には笑っちゃうような話だけど、笑えない。そんな恐れを広げた専門家に怒りが湧きます」

 

 「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

 

以下省略

 

ウイルス学者、西村秀一先生曰く。

「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

 

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2006年 記憶に残るエッセイ ②(井手)

 

命日だ、お勤めしなきゃ (井手 一男)

 

 

 

この年になっても父の命日はソワソワしている自分がいます。

 

小さい頃の衝撃は心に刻まれるものなんでしょうね。

 

昔も今も、変わらずです。

 

では。

 

 

 

 

 

1月15日・・・今日は父の命日です。

 

毎年の事ながら、父が亡くなった35年前の光景が今でも忘れられません。

 

というより、この日は私の中では、ある意味「父の日」みたいなものなのです。

 

カレンダーとしての「父の日」よりも、父の命日が「父の日」、

 

母の命日が「母の日」、そんな感覚・・・皆さんはどうですか?

 

 

 

脳溢血で知人に担がれて帰宅した父を見たときの動揺。

 

これは「ただごとではない」と直感し、救急車を呼ぶため電話を掛けようと

 

10円玉を握り締めて近くの店まで走った時の、耳元の風を切る音と自分の息。

 

その日の内にポックリと亡くなる父の命の虚しさ。

 

少年時代に心臓を鷲掴みにされた衝撃は、古い傷跡として残されたままです。

 

ヤクザな父と二人暮しだった私は当時小学5年生。

 

私の中には、私の意思とは関係なく、私の人生をリセットした時期があって、

 

そのキッカケとなる父の死は生涯のエポックメーキングです。

 

それまでの「園田一男」の人生から、養子先の「井手一男」の人生へとレールを跨ぎ

 

ガラの悪い北九州から、穏やかな佐賀へと1人移り住むことになったのだから。

 

(北九州の人ゴメンね)

 

 

 

教室の後方に貼り出された、忘れ物グラフが私だけ常にダントツで、

 

どの学年の通知表にも「忘れ物が多い」と書かれていたものです。

 

宿題なんかやったことがないし、水筒なんて端から持ってないので

 

校内で禁止されている生水を堂々と飲んでいました。

 

 

 

ノミ行為で、数日父が捕まった時は親戚の家から学校へ通いました。

 

急な出来事で、あわてて荷繕いをしたものだから、算数と国語の教科書を紛失し・・・

 

後日、自宅にあったが・・・しかし、紛失したと思い込み、只でさえ忘れ物王の我が身、

 

それが言い出せないので毎日忘れた理由を考えるのが日課でした。

 

(これが私の宿題みたいなものです)

 

 

 

朝教室へ入ると、同じ班の班長が

 

(当時は班の連帯責任でした・・・班長は大体女の子)

 

「園田君、国語と算数の教科書持ってきた?」と必ず聞くのです。

 

数日は「ゴメン、ホントごめん、今日は忘れた」とか

 

「あれ、入れたはずなのになあ・・・」とかで誤魔化しも効きますが、

 

さすがに一週間続くとなるとこれは苦しい。

 

学校をズル休みしたくなるほどのプレッシャーでした。

 

そこで思いついた名案は、子供心にも計算高く、こちらから先手を打つというもの。

 

「おはよう、ごめん今日は算数の教科書忘れた。でも国語は今日ないよね!

 

と班長に堂々と宣言するのです。(昨日までとキャラも変わっています)

 

 

 

この日の事だけは、妙にはっきりと記憶しています。

 

班長は、FS子さんでした。

 

絶望していました。(アハハ)

 

(眉目秀麗な彼女は今どうしているのでしょうか)

 

後日、大人になってから彼女には笑い話で真相を話してあります。

 

もっとも、本人はケロッと忘れていたようですが・・・。

 

 

 

男二人の気ままな暮らしぶりは、時代もあったのでしょうが凄まじく、

 

子供たちに思い出話をしては昔を懐かしんでいます。

 

 

 

その頃の私の1日は、朝起きてまずお湯を沸かす。

 

当時はマッチでガスコンロに火を点けますので、大人になった気分でした。

 

一度失敗して、眉毛と前髪を焦がしたことがあります。

 

発売されたばかりのチャルメラというインスタントラーメンが朝食。

 

しかも、鍋で作るのが面倒くさいので、袋から取り出した麺をそのまま丼に入れ、

 

お湯を注いだ後は皿で蓋をしていました。(子供ながらの生活の智恵です)

 

それから数年後にカップヌードルが世に出るのですが、

 

(浅間山荘事件の自衛隊の食事でブレークします)

 

あの時・・・特許を取っていれば・・・(アホ1)

 

余談ですがカップヌードルが世に出たとき、思春期の私は「ヌード」という言葉に

 

敏感で、暫くは「カップル・ヌード」と誤読していました。(アホ2)

 

 

 

それから玄関の土間掃除と父の靴磨き。

 

ヤクザな人の共通点は2つ。

 

手に荷物を持ちたがらないのと、靴だけは絶対ピカピカ。

 

これだけは譲れません。

 

 

 

実は、私は幼稚園にも通っていません。(学歴がないのだ・・・アホ3)

 

入ることは、入ったらしいのですが、父と離れるのが嫌だったのか、

 

父の職業(?)である、ボートレースのノミ行為についていくのが楽しかったのか、

 

うっすらと記憶にあるのは、幼稚園の先生の手首に噛み付いて放さず、

 

(何があったか不明です)それ以来、幼稚園には行きませんでした。

 

親から、わざわざ高倉健さんと同じ幼稚園に入れられた・・・にもかかわらずです。

 

(正確には、首席中退というところかな・・・笑)

 

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2006年 記憶に残るエッセイ ① (井手)

 

2006年初め…謹賀新年 (井手 一男)

 

 

 

この数年間は、システム作りに必死でした。

 

その前が僧侶コースでしたから、ガラッとベクトルの向きが変わったと思われますが

 

そうではありません。自分の中では、双方とも同じ土俵にありました。

 

そしてこの翌年…

 

まあいいか、では。

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

さて、今年も始まりました。

 

既に業務に就いていらっしゃる方もいるでしょう。

 

それぞれに新年の目標を立て、気持ちを新たにされていることと思います。

 

私の今年の目標は、取りあえず上半期のみ決定しています。

 

FUNETシステムの充実。

 

これに尽きるんだあ・・・工場長には3つの具体的アイデアを出してある。

 

なるべく早急に実現化を目指します。

 

(具体的内容は秘密です)

 

それから年間のスケジュールですが、もう30件以上セミナーが決定しています。

 

穴を開けるわけにはいきませんので、特に病気には注意しなければ・・・。

 

2006年も頑張ります。

 

 

 

それにしても、どうしてお正月は・・・

 

よくよく考えてみたら普通の朝と何も変わらないのに

 

こんなにも神々(こうごう)しく感じられるのでしょうか。

 

怠惰な私でも、身も心も引き締まるような新春の雰囲気を味わうから不思議。

 

そんな感覚で書いた1月のナレーションプロローグがこれです。

 

 

 

晦日(みそか)の闇夜に梵鐘(ぼんしょう)が響き、

 

一本の直線で仕切られたかのように年が改まりました。

 

清々しい(すがすがしい)年の初め…。

 

どこか背筋を伸ばさずにはいられない、そんな尊さを感じます。

 

(猫背だからね)

 

 

 

あるいは、

 

 

 

除夜の鐘が新年の扉を叩いて、年が改まりました。

 

身も心も引き締まる新春…。

 

しかし新しい手帳の1ページに、悲しい別れを…

 

(自分は手帳も使わないくせにさ)

 

 

 

FUNET会員に配慮して、最近のエッセイではナレの露出を控えていますが

 

お正月だから少しくらい許していただきましょう。

 

これらは、FUNETのナレーション自動作成システムの1月の「新春」

 

カテゴリの中に格納されていますが、毎年こんなことを実感しますよね。

 

正月の神々しさ、清々しさは一体どこからくるものなのでしょうか。

 

 

 

そこで・・・正月とは何だ?

 

それは暦のトップ、カレンダーのトップ?

 

しかし厳密にはね、暦とカレンダーは意味合いが違います。

 

暦は、太陽や月という自然の運行を読み解いたもの。

 

カレンダーは、それを基にして月や日付、さらには祝日などを記したものです。

 

 

 

ところで、暦を作成する権限を持つということは、

 

世の中のスケジュールをプロデュースするということですから、

 

世界を創造する(支配する)のと同じ位の意味合いを持つ大変なことです。

 

ですから、長らく朝廷のものであった暦作りを、信長が奪おうとし、

 

結局は徳川幕府が奪取してしまうのです。

 

(支配権を持つのと同じことですからね)

 

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遂に決行(miori)

おはようございます。
天気は優れないのに毎日毎日蒸し暑いですね。
まさに梅雨って感じです。

さて、先日遂に我が家の暴君達の去勢手術をして参りました。(写真はマンチカン用のエリザベスカラーです。ひまわりみたいでとっても可愛い)
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2006年のエッセイより 葬儀司会<合同葬>を終えて

あの頃は、大きな葬儀が多かったですね。
14年前ですか、10年は一昔ですからね。
懐かしいですな。
弊社の女性スタッフのエッセイに私が割り込みを付けてます。
ラストの落ちには笑いましたけど。
では。

 
ご覧頂けないのが残念ですが、優しい微笑が印象的な遺影写真でした。
そしてピンク系のライトが、会場全体を柔らかく包み込み、
温かみを感じることの出来る祭壇でした。
ガス機器メーカーの会長様の葬儀式だったので、
炎の温かみが演出されていたのでしょうか・・。
また葬儀と言えば、ご遺影の枠は黒枠が主流でしたが今は様々ですね。
仏式でも花祭壇が圧倒的に多くなりました。

 
本日の宗旨は、真言宗御室(おむろ)派??
(ありゃりゃ!)初めて聞きました。
諷誦文のあと弔辞・最後は至心廻向で終了と・・・
一般的な真言宗と弔辞や退場箇所は変わりありませんでした。(良かった)
ご導師様は故人の実兄、(お兄様がお父様の後を継がれ)
故人は、先代の住職であるご尊父様の元でお経を聞きながら育ったそうです。
やはり導師の気合の入れ方が違うような・・・
哀愁のあるいいお経でした。
熱烈なお経を筆頭にピリッと締まった厳粛な合同葬になったと思います。

5人のセレモニーレディーさんが入っていましたが、
立ち振る舞いが綺麗でびっくりします。
お辞儀の仕方・方向指示・歩き方と相当レッスンを受けているのでしょう。
全員が同じ角度で礼をし、動き始めるのですが、
いい意味で調和が取れ、機械が動いているようです。
無駄のない動き・品のある口頭でのご案内・スーっと姿勢もいい。
また進行状況においてのターゲットからは、絶対に目を離さない。
そして、マイク出し・遺族・親族の焼香終了、来賓の焼香終了等、
レディーさんと司会の連動する箇所になると目配せで合図をくれる。
焼香する参列者の整列のご案内(させ方)も抜群で、
統制のとれたお式が作られていくのです。
この会社のレディーさん達は、いつ見ても惚れ惚れします。(かっこいいんだぁ)

それから式場外演出の映像は当然よね
 
シンセサイザーの奏者さんもお会いするのは2度目で、
前回お願いした事を覚えていてくださり、
聴かせる<阪神タイガース 六甲おろし>を献奏してくれました。
(導師退場後献奏がありました)
ナレーションのBGMも私の好きな<巡り逢い>を弾いてくれました。
自分の知っている曲だとナレーションがやりやすいので助かります。

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2004年のエッセイから諸々 (井手)

 <1

真宗系のお葬式では「忌中紙・忌中札」の類は使用せず、代わりに「還浄(げんじょう)」と書かれた紙を使用する地域が多いのが目につきます。これに関する質問(セミナーなどで)も多くいただきましたので、改めて記しておきます。

 

 

「還浄」(げんじょうと読みます)について、真宗系のご葬儀では全国至る所で見かけますが、恐らくはお寺様の指導によるものではないでしょうか、「忌中紙・忌中札」の代わりに使われているようです。しかしこれは誤りです。様々な議論を経た後、2001年11月1日発行の本願寺新報(日付については記憶に誤りがあるかもしれません)で既に解決済みの問題です。よくお間違えの葬儀社の方がいらっしゃるようですので、ご注意されたほうがよろしいでしよう(忌中紙・忌中札を使えという意味ではございません)。

 

2

 この当時はあまり故人にフォーカスした商品がなく、個性が引き出せないでいた…と私は感じていました。司会のナレーション以外で、簡単に、安く、という思いで開発したのを懐かしく感じます。

 

では、追悼文に関してのエッセイです。

 

20041030

 

 

濃縮された遺族の想い(井手一男)

 

 

 

『ありがとうございました・・・』と深々と頭を下げられた。

 

その声は、心の底から絞り出された声だ。

 

喪主様が、男泣きの涙を拭おうともしない。

 

こちらの方こそ、喜んでいただけて本当にありがたい。

 

 

 

6時からの通夜に間に合うように、4時30分頃式場を訪ねた。

 

ご挨拶の後、早速FUNET追悼文をお渡しする。

 

食い入るように読んでおられた喪主様の目から涙が・・・。

 

そして押し殺した嗚咽が漏れる・・・

 

読み終えて、深く息を吐き出し、お礼の言葉を述べてくださった。

 

 

 

用意したFUNET追悼文が受付に置かれ、記帳された弔問客に配られる。

 

物珍しさもあるのだろうが、皆さんが読んでいる。

 

そして、開式前の式場がシーンと静まり返った。

 

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2005年、記憶に残ったエッセイ3作品 その3(井手)

 

3

 

【主任・・・凄すぎ!】(井手一男)

 

 

 

関東地区にあるその葬儀社は、

 

当時、現場を担当する施行部隊の10名ほどは、20代の若手ばかりで、

 

皆威勢が良くて気が短くて、明るくてスケベで、賭け事が大好きで

 

いろんな意味で、元気一杯の若者たちが揃っていたのだ。

 

 

 

私は人材派遣の葬儀スタッフ要員として、ほぼ毎日出社しているうちに、

 

やがてデスクを与えられ、司会や担当もやらせていただくようになった。

 

やがて(勉強熱心な)私のデスクは資料で一杯になり、社員の皆さんは

 

何かあると私のデスクから必要な書類をコピーして使っていた。

 

(さりげない自慢である、ワッハハ)

 

その頃の葬儀スタッフのデスクの中と言えば、

 

私物ばかりか、漫画やエロ本が詰まっていた時代であり、

 

宗教の資料なんか滅多にお目にかかれなかった。

 

そして私は、宗教関係の資料と引き換えに、

 

貴重なエロ本を見せてもらっていたのは、当然のことである。

 

(大変お世話になった葬儀社さんである・・・居心地も良かった)

 

 

 

20年前、はじめてこの葬儀社さんに伺った時は、

 

それはそれは驚いたものだった。

 

派遣される側の人材は、初出社の時は身が引き締まるものだ。

 

さて、ここはどんな会社で、どんな雰囲気で仕事をするのだろうか?

 

いささか緊張している私の前に現れたのが、このお話の主役、

 

その当時の主任の方だった。

 

 

 

あっ、この方はさっき駐車場で見かけた方だ・・・と思ったが、

 

確かド派手なアメ車のオープンカーにアロハシャツ(音楽ガンガン)、

 

サングラスに、半袖の両腕には立派な彫り物が・・・。

 

絵に描いたようなヤ××である。

 

足元を見れば、げっ、サンダル履きじゃん!

 

(ウソー、えっ、まじ、主任?)

 

『井手って、お前か?

 

『・・・はい(おー、こわっ)』

 

『ランク高いから何でもできるんだろう?』

 

『・・・(何でもって・・・殺しはちょっと)はー、まあ大体は』

 

『今日社葬だから、お前司会な』

 

『はい。(殺しじゃない、ホッとした)』

 

『年は?』

 

27です。』

 

『俺より一つ上ジャン!』

 

『・・・(下かよ、まじ?)』

 

『学年だとどうなんだ?』

 

『・・・(今さら学年で聞くなって)34年のイノシシ生まれですから』

 

『やっぱ上かよ』

 

『・・・すいません』

 

 

 

何となくこんな会話があった。

 

印象としては、ちょっと怖いけど憎めないヤ××という感じだ。

 

こうして私は、主任が担当する社葬の施行をすることになった。

 

当時の私は、社葬の司会をするといわれても、

 

それこそ「なんちゃって司会」で、少しばかり器用に人前で喋れただけのこと。

 

しかし自分の姿が見えないというのは恐ろしい。

 

中途半端な知識で、平気でマイクを握っていたのだ。

 

それに付け加えれば、とても断れる雰囲気じゃないのも確かだ。

 

 

 

現場について驚いた。

 

会葬礼状と返礼品が1.000セット分ダンボールで届けられている。

 

当時は、葬儀スタッフが手作業で礼状を折って、鼠枠封筒の中に入れ、

 

さらに一つひとつ返礼品が入った紙袋の中にセットし、

 

それをテーブルの上に上手に積み木のごとく積み上げていくのだった。

 

『じゃ、これセットしとけよ』

 

たったのその一言で、見事なほどの一言で、

 

私のマジックハンドは目にも止まらぬ速さで2時間ほどフル回転した。

 

(人材の私は、どこへ行っても一番下っ端なのです)

 

その間、他のスタッフの姿が見当たらない。

 

何で?

 

どうして?

 

少しぐらい手伝えよ!

 

 

 

『おう、お疲れ!』

 

缶コーヒーを片手に再登場したヤ××主任は、

 

一本を私に投げて寄越し、(私が受け取ると)

 

『ストライク!』

 

『(えっ、キャラ変わってない?)・・・いただきます』

 

(嫌な予感)

 

さすがにスーツに着替えているから刺青も拝めないし、

 

こうして見ると、ただのアンちゃんに見えなくもない。

 

『今日の社葬二人でやっからよ、頼むぞ!』

 

『??二人だけで、ですか!』

 

『おう、うち歩合制だからよ、頭数揃えたくねえのよ、俺独り占め』

 

『はあ?』

 

『俺、頭いい? 切れる?』

 

『・・・(俺がキレるわ)』

 

(なるほど、そういうわけか)

 

どうやら基本給に、売り上げの一定歩合が付くらしいのだが、

 

施行人数で頭割りするらしいのだ。

 

ただし、これには人材はカウントされないのがミソであるらしい。

 

 

 

私の業務は、寺院との進行打ち合わせ、

 

受付や返礼品のスタッフ(会社の実行委員)への説明案内、

 

葬儀委員長、遺族、来賓、弔辞者などへの説明、

 

司会(ナレ・弔電・進行)、焼香回りの実務、香炭やローソク、

 

マイクの出し入れ、弔辞の受け渡しetc・・・。

 

一言でいうと、式場内のすべてだ。

 

(言われなくてもわかってるって)

 

で主任はと見れば、遊んでいるわけではなく式場外の雑務をこなしている。

 

こちらもかなり忙しそうで目が据わっていた。

 

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2005年、記憶に残ったエッセイ3作品 その2(井手)

 

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【僧侶に感謝!】(井手一男)

 

 

 

何故お坊さんはあんなに威張っているのだろう?

 

そして葬儀屋さんは、何であんなにお坊さんにペコペコするのだろう?

 

ほとんどの遺族の方も、お坊さんに対しては似たようなものだった。

 

20年位前、葬祭の人材派遣に入ってから一番不思議に思ったことだ。

 

 

 

法話もそんなに面白くもないし、袈裟はそりゃ立派で高価な感じはする。

 

それなりの歴史というか、伝統も感じられるが、

 

私から見れば、ハッキリ言ってただのオヤジだし、

 

『そない米搗きバッタみたいにせんでも・・・』

 

と、ことあるごとに担当の先輩社員をからかっていた。

 

 

 

暫くして、私は何故かとんとん拍子に出世し、

 

(つまり人材のランクが上がり、ついでに給料も上がり)

 

司会や担当を任されるようになると、

 

件の社員と同じ事をしている自分がいた。

 

悲しかったと同時に自分に腹が立っていた。

 

正直、「金のため金のため」と心で呟きながら、

 

米搗きバッタの自分がそこにいたからだ。

 

 

 

当時の私から見れば、僧侶の態度が余りに尊大で、

 

何か葬儀社を見下しているようで、いつも嫌な思いをしていた。

 

そのうちギャフンと言わせたいと思っていたのは確かだ。

 

 

 

そんな時、ある葬儀で遺族の親戚筋にヤ××さんがいた。

 

担当の私に、何か揉め事が起こりそうな、確かに閃くものはあった。

 

そう予感みたいなものが・・・しかしまさかあそこまで、

 

自分の想像通りにはまることは滅多にない。

 

 

 

通夜開式前の打ち合わせで、やはり揉めた。

 

読経中は焼香をしてはいけないとか、

 

遺族親族は、常に正面を向いていて、弔問客に答礼しては駄目だとか。

 

挙句の果てに、翌日の弔電拝読も省略しろだの、

 

次の日は僧侶用にハイヤーを手配しろだの、

 

まあ、その内容には一理あるのだが、言い方と態度が横柄なのだ。

 

常に命令調で、私でさえ遺族がかわいそうになった。

 

ただでさえ悲しんでいる遺族に対して、

 

あの態度はないだろうと思っていた。

 

そんな僧侶の態度の不遜さに、それでも遺族は我慢していたが、

 

××さんには耐えられなかったようだ。

 

あっという間に堪忍袋の緒が切れて、

 

『てめえ態度がでけえんだよ!おらっ坊主、埋めるぞこらっ!』

 

(逞しい-、埋めて埋めて今すぐ・・・心の声です)

 

『表出ろっ!こら、くそ坊主』

 

(くそ坊主だって、素晴らしい響き・・・心の声です)

 

一発、軽く頭を殴られた僧侶は途端にオロオロし、

 

担当の私は、一応形ばかりの態度で、

 

『暴力はお止めください、落ち着きましょう』

 

などと言いながらも、自分の立ち位置を考慮し、

 

××さんの邪魔にならないように配慮していた。

 

 

 

逃げる坊主に追うや××。(七五調)

 

映画のワンシーンのようだ。

 

『カット』・・・止まるわけないか。

 

(井手の回想シーン・・・つまり井手の頭の中です)

 

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2005年、記憶に残ったエッセイ3作品 その1(井手)

 

2005年のエッセイから記憶に残ったものを、

 

今日から3日連続で3作品を振り返ろうと思います。

 

 

 

最初は私のエッセイではないのですが、女性スタッフが書いたものです。

 

私も父を早くに亡くしていますが、彼女も高校生の時だったようです。

 

1年は365日の繰り返しですが、日付に関して不思議な縁が感じられた作品でした。

 

では、第1話。

 

 

 

【2月2日は、私にとって激動の日であります】

 

 

今から24年前の今日、父が亡くなりました。

 

癌の宣告を受け、たったの半年・・・

 

すべてを受け入れ、弱音ひとつ吐かず、

 

厳格な父らしい最期でした。

 

 

死の宣告を受けてからの半年間は、本当に辛かった。

 

死の瞬間、

 

「父は、これで苦しみから解放されるんだ・・・そして家族も」

 

悲しみや寂しさよりも、ホッとした気持ちの方が強かったかもしれない。

 

そんな感情を最後に・・・私の心は、暫く封鎖された。

 

 

慌ただしく通夜・葬儀の準備が進む中、

 

高校の制服姿で、ひたすら漫画に没頭する私の姿は、

 

世間にはどう映っただろうか?

 

(漫画じゃなくて小説だったら、もう少しまともに見えたかな。)

 

今でこそ、そんな事を考えてはみるものの・・・

 

漫画は、人から話しかけられるのを拒むことができ好都合だった。

 

そして、現実から逃避することもでき、

 

悲しみから自分を防御することも出来た。

 

高校生にもなって、なんて弱い、なんて非常識な態度を・・・と思うが、

 

私の精一杯の身の振り方だったような気がしている。

 

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2006年 葬儀司会を終えて (井手)

 

NHKの朝ドラのように、そのまま再放送とも思いましたがそれは無理。

 

2006年の頃は、私も講師業一本ではなく司会の現場に入っていました。

 

偶には田園調布のS葬儀社様(現在公益社)で担当させてもらっていましたが

 

因みに、中央仏教学院の僧侶養成コース卒業後に現場に伺うようになると、

 

僧侶の我儘と思える行動がやたらと目につきだしました。

 

 

 

 

 

参ったぜ。

 

無茶苦茶疲れました。

 

慣れない地方の葬儀は面白いけど、色々とありますなあ。

 

 

 

連絡を受けたのが27日の11時頃。

 

「明日(28日)と明後日(29日)・・・誰か司会者いませんか?

 

「えっ、何? どういうこと?

 

「オープン前なんですけど、もう仕事請けます。」

 

「・・・」

 

2月中旬のオープンのはずが・・・やっちゃうの? 大丈夫?

 

最後の研修で、全体の動きを確認する予定が、それも終わってないし、

 

一体スタッフは動けるのだろうか、そもそも物は揃っているのか。

 

 

 

・・・自分が行くしかないだろう(と神の声)。

 

・・・お前は関係ないじゃん、ただの講師だし(と悪魔の囁き)

 

右ハイキック一閃、神の声のKO勝利。

 

俺は責任感の塊だ・・・ということで、全てのスケジュールをお断りして、

 

とにかく新潟へ向かったぜ。ただし、新幹線の車中では

 

S山(担当者の氏名です)大丈夫だろうな」と100回位ブツブツ言ってたけど。

 

 

 

自分がしてあげられることは何か。

 

司会とFUNET・・・

 

司会だって新潟バージョンはよく分からないんだけどね。

 

パネルとDVDだけは制作出来るように急遽準備をしました。

 

 

 

近所のMUSASHI(看板のIが落ちてるけど)というホームセンターで、

 

あり合わせの物を買ってきて即席で作ったメモリアルコーナー。

 

Iが落ちてるだけに、愛のないお店でした・・・ごめん)

 

 

 

FUNETのイメージボードとフォトボードで構成してます。

 

因みに観葉植物は、事務所にあったものを流用しました。

 

ランプもバックの格子状の物も全てその場調達です。

 

次は、色々と揃えといてください。(頼むぜ)

 

 

 

入り口のエントランスには、DVD映像を流し、

 

その場で作成したメッセージボードと合わせてエントランスに飾りました。

 

 

 

弔問の皆さんは、映像を見たり、思い出の写真を眺めたり、

 

メッセージボードで時代を懐かしんだり・・・と、

 

故人を偲んでいただきながら、全体の空気感を演出しています。

 

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猫とギター(miori)

おはようございます。

何年か前に父が持っていたギターを1つもらったのですが、ネイルをずっとしていたので弾けず、最近のステイホームでネイルサロンにも行けなかったので遂に自分でバッサリと爪を切ったので、やっとギターを触れるようになり、この際だからとギターを始めてみました。

先ずは古くなったギターの弦を変えるとこからなのですが、なにぶん初心者なもんで、弦の張替えすら全く分からない状態…
しかし今は便利な時代で、YouTubeを見れば弦の張替え動画なんてものがあるのでそれを参考にしつつ張り替える事に。

動画の手順通りに弦を外したら…
ある事に気づいた。

我が家には猫が4匹も居ることを。
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名古屋の通夜 (井手)

 

名古屋の通夜は、名古屋人がよく食す「助六」を持たせることが一般的らしい。

 

愛知県下では、関東と同様に通夜振る舞いをする地域もあるようだが、

 

以前から名古屋だけは通夜振る舞いをする習慣がなかったようだ。

 

 

 

名古屋で回転寿司に行けば、小皿に乗ったお稲荷さんが回ってくる。

 

私は少し驚いた。東京ではあまり目にしない光景だが、名古屋では普通だ。

 

確かに甘党の私はお稲荷さんが好きだが、それでも回転寿司では手は出さない。

 

 

 

コンビニやスーパーのお弁当売り場に行けば見かけることが多い「助六寿司」は、

 

「いなり寿司+巻き寿司」このセットで販売されている。

 

今日は名古屋の通夜で定番の「助六寿司」の「助六」について。

 

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コロナ禍での司会研修会 (井手)

 

319日に島根県で司会研修を行ってから65日振りに愛知県で講座再開となった。

 

いよいよオンラインでの司会講座も考慮しなければと思っていた矢先のことだ。

 

 

 

この間、約2か月コロナ禍により葬祭業界の売り上げは半分以下、

 

良いケースでも2/3にまで落ち込んでいる。

 

売上だけでなく、施行自体も単に小規模化しただけではない。

 

葬儀施行はコロナ対策がメインになり、スタッフ全員が毎日検温(顧客も)し、

 

手指消毒の徹底、マスクやフェイスシールドの着用、換気に気を配り、

 

社会的距離を保ちと忙しい。

 

(仕事が、どえりゃーおおじょうこいた訳:とても大変になったよ)

 

コロナさえなければと心底思うが、それは誰でも、どの業界でも同じ気持ちだろう。

 

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2005年のエッセイから 名前についてのお話(井手)

当時はこんな長文を直ぐに書いていました。
やはり若いですね。
読み直してみて、爆笑しております。
では、築地本願寺にて。

 

A「もし釈珍念(しゃく・ちんねん)だったらどうする?」
B「ちょっと恥ずかしいよなあ」
C「珍念はないだろう?いくらなんでも」
D「だって珍念さんって呼ばれるわけだよね」
B「子供に笑われそうだな」
A「結構受けるかもね」
B「・・・坊主になるのやめようかなあ?」
と、男たちは顔を見合わせて吹き出してしまう。
中仏に通う、いい年こいた四人の学生の喫煙ルームでの面白い会話である。

築地本願寺のこんなところで煙草吸ってます。

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年貢の納め時(miori)

おはようございます。
雨ばかりが続き、なんだか気持ちも沈んでしまいますね。
先日スーパーに行ったら、きゅうりとミョウガと浅漬けの素が安かったので浅漬けを作りました。笑
夏ですね~。
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築地の本願寺で卒業試験を受けた時のこと (井手)

2005年に無事卒業しております。
一応、教師資格というのでしょうか…あまりというか全然使ってないので不明です。

 

南無阿弥陀仏!で一泊二日(井手一男)


卒業試験無事終了です。
受かったかどうかは不明ですが、全力は尽くしました。
人事を尽くして天命を待つ。
結果は神のみぞ知る…じゃなくて、
仏のみぞ知る…です。

合否判定は8月上旬に、ピンク地桜模様の、それはそれはステキな
「ご卒業おめでとうございます」の紙が入っていれば卒業式へ。
無味乾燥、来年度の振込用紙が入っていれば、留年!(トホホ)
今からドキドキものですな。

いやあ、いい経験をさせてもらいました。
ここ一週間は寝ても醒めても南無阿弥陀仏。
鼻くそほじっても、耳アカを採っても、私の身体の何処を切り取っても
南無阿弥陀仏の金太郎飴が出来上がっていました。
この年になって試験を受けるのは、いい勉強になります。
真夏の暑い日…
大して美味しくもないラーメンの大盛りを食べ切った時のような、
途中で何度も、もう残そうかなという誘惑に負けずに頑張り通した時のような、
実に清々しい達成感がありました。
(喩えが悪すぎ)

 一日6科目を受験するのですが、その内2科目は実技と筆記ですので、
受けている側からすれば、実質8科目の感覚なのです。
これは実にハード。(終了時ヨレヨレ)
問題も、それなりに難しいでっせ。

「顕戒論について述べよ」
これ天台宗の最澄の著した書物です。
確かに仏教の歴史の中では、ある意味ターニングポイントになった本ですが、
浄土真宗本願寺派の試験ですからね、普通はわからないですよね。
(因みに私はバッチシ!…自慢)

「聖徳太子の仏教信仰について述べよ」
十七条憲法の第十条ご存知ですか?
有名なのは、
第一条「和を持って尊しとす」
第二条「篤く三宝を敬え」
第三条「詔を受けては謹め」
ですが、第十条が素晴らしいのです。
「人皆心あり、心おのおの執あり・・・中略・・・我必ずしも聖にあらず、
彼必ずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫のみ」
自分は決して聖ではない、間違いも犯すし凡夫である。
人の善悪や是非を決定すべき者ではないが、この認識とそこからの離脱を
教えてくれるのが仏教でありますよ、と説いているのですね。
やっぱ、聖徳ちゃんは偉いわ!
因みに彼は、和国の教主、または日本仏教の祖と呼ばれています。
(くー、このこの!)
私の答えには、当然この第十条を使わせていただきましたよ。

宗教法人法の試験問題では、
「宗教法人に義務付けられている備え付け書類についてと閲覧について」
なのですが、これ法律でして、所轄庁(文部科学大臣または知事)からの
認証書など9項目あるのです。(もちろん暗記してますが…何気に自慢)
面白いのは閲覧については、オウム事件以降改正されておりまして、
「信者または利害関係者で、閲覧に付き正当な理由があり、
かつ不当な目的でない者からの要請に対しては、閲覧させなければならない」
ってこれ、当局のことでしょ!(やっぱりね)

それからお勤めの教科書に面白い記述があるのです。
堂内の歩き方なのですが、
「ごく自然に左足から進み出て、1メートルを2歩程度の歩幅で歩く」
凄いねこれ、「ごく自然に…」だよ。
皆俳優じゃないんだからさ、意識すればするほど、
不自然に左足から出てしまう人が続出。
(手と足がバラバラでギクシャクしてました)
今後は、横断歩道で停まったときも、信号が青になって渡るときは
左足から歩き出しましょう!

まあ試験のことをぐちゃぐちゃ書いても仕方ないですが、
実は一科目だけ失敗しました。
それが何と、一番得意なはずだった「法話実演」なんです。
調子に乗ってペラペラと喋ってしまいましたがな。
講師が唖然としてました、というか、そんな空気を感じてしまったのです。
これはまずかったかな?という感じです。
もし、落としているとしたら…これかな。
そん時はまた来年頑張ります。

試験終了後は、皆で一杯やりまして、やはり「内願」の話がでました。
つまり自分の法名を自分で希望すべく「内願」するのですが、
皆さん自分の法名が気になるみたいですねえ。
釈珍念…どうですか?差し上げますよこの名前、とお奨めしときました。
かなりヒンシュクを買いましたけど。
ただ内願の際に、漢字二文字でカタカナ・ローマ字は駄目らしいのです。
つまり、釈MCや釈K1は駄目だということが判りました。
例外として、外人さんが得度される際に、釈真亜倶(しゃくマーク)とかは
あるらしいですけど、私の場合は正当な理由がありませんからね。
格式があって、趣があって、名前だけで尊敬できるような…
そんな名前をこれから考えようと思います。
因みに得度式に出させていただくのに、何処かのお寺の住職の
保証が必要なんですが(実印を押してもらう)、その謝礼金についても
いろいろな話題が上っていました。
どこまでいっても「お金」なんですかねえ、お寺は。(残念)

 

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2005年のお話です (井手)

実はこの頃、中央仏教学院の通信で僧侶コースに入ってました。
通信とは言いながら、毎週日曜日には弁当持参で築寺の本願寺に通っていたのです。


お勤めと声明の実技試験で左膝を痛めたみたいで…
私が修行不足だからいけないんです。
正座すると、体重の重みがもろに掛かります。
太りすぎた自分が悪いのです。
いやあ参った参った!

ところで随分と、研修会後の報告レポートが溜まっています。
一気に処理をいたしましょう。
まずは、4月と5月の2ヶ月に渡って、東京都内のある葬儀社様に
連続8回の司会実技研修会をさせていただきました。
葬儀司会の取り組み方の意識改革。
徹底した基礎練習によるステップアップとブラッシュアップ。
更には、司会の実務から間口を広げて(いつものことですが)
様々な宗教儀礼と司会アナウンス言葉の連動…具体的には、
宗派別の開式や閉式のタイミングとお経・作法の関係、
現場施行報告書などによるデータ活用術等々…多岐に渡った。
当然、全宗派のお経本もご紹介させていただき、
今後はそれらを購入して大いにご活用してくださるだろう。

何より嬉しかったのは、会社を上げて真剣に取り組まれているから、
毎朝の朝礼時に、右脳トレーニング2分、左脳トレーニング5分を
取り入れられていたことだ。
(電話業務にもかなりの効果を発揮するだろう)
お陰で参加者の滑舌レベルが驚異的に上がり、全体の司会レベルが
こちらの予想以上に上達してくれた。
個人単位ではなく、社を上げての取り組みが功を奏したのだろう。
ベテランも新人も(むしろ新人の方が上手いが)レベルに格差がなくなり、
司会を担当する人によってバラついていた司会実務の安定した供給が見込める。
一人の傑出した人材も必要だが、チーム全体としてのレベルアップは、
間違いなく会社のためになるだろう。
今後の更なるご活躍をお祈りしたい。

次に、島根県へと飛んだ。
男女半々の20名弱のご参加であった。
[よー来てごしなはったのー!]
毎年声を掛けていただいているが、女性の参加が増えつつあるようだ。
研修会場は【島根ワイナリー】の会議室。

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2004年 お世話になった方のお葬式に参列して

 

かつてお世話になっていた葬儀社の社長が亡くなられたとの知らせ…
10年ほど前になるだろうか、その社長が体調を崩され3ヶ月ほど入院された時には、葬儀の見積りから集金まで担当させていただいたものである。大変お世話になった。
思い出はたくさんある。二人で品川から熱海まで宅下げに伺ったり、桐ケ谷火葬場の火夫さん達の控え室で、社長が好物だったカツライスの出前を一緒に食べたり、とても短気で、気分屋で、酒好きで、女性に優しくて、人材に厳しくて、それはそれは魅力的な社長だった。

私は不思議とこういう理屈で推し量れない、やんちゃな子供がそのまま大人になったような人物にかわいがられるタイプで、社長との思い出は尽きない。
心からご冥福を祈りたい。

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夏の訪れ(miori)

おはようございます。
ついこの間まで春を感じたばかりなのにもう既に夏の訪れを感じられるほどに暑くなりましたね。
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あれ以外の秋田研修の思い出 (井手)

 

(前回に続き、2005年の秋田研修会の話)

 

霧で霞む高速道路に、白い盆のような月が見えた。雄勝から秋田空港までの道のりを、右に左に追いかけてくる。約100キロの道程、2日間にわたり送迎してくださった事務局の方には心から御礼を申し上げたい。お疲れのところ本当にありがとうございました。

 

午前中は「受注接遇」、午後は「司会研修」の2本立て。更に和室を使っての「受注実践ロープレ」まで組み込まれたハードスケジュール。昼食休憩に割り当てられた時間はわずか30分である。しかし、これ位の研修をやって良い。必ずクオリティが上がるはずだ。秋田の皆さん、大変お疲れ様でした。

 

 

 

そしてまたまた、喋り過ぎて・・・案の定ノドが痛い。私はノドが痛くなると、不思議と煙草を吸い過ぎる。痛い奥歯をわざと押して確認するようなものだ。この性格、何とかならないものか?

 

 

 

次回のセミナーは天の恵みか20日間も開いている。というわけで、中学生の娘と幼稚園の息子と、ついでに女房も引き連れて家族サービスでもするか。たまには父親としての威厳を見せないといけない。もう全国各地のお土産だけでは、さすがに誤魔化しが効かなくなっている。

 

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父は悪友(miori)

おはようございます。
我が家の寝室にはエアコンという文明の力がないので毎晩死ぬ思いで眠りについています。


さて、先日この方と母の誕生日のプレゼントを買いに行きました。
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秋田の研修センターで起きた風呂事件 (井手)

 

20047月のことです

 

 

 

暑い・・・

 

もう日本全国、何処へ行っても暑いですな。

 

今日から東京は4日間ほど34度くらいになるらしい・・・

 

(勘弁してよもう)

 

 

 

さて先日宮城県へ行ってきました。

 

私が研修会で伺ったその日に、工場長も別件で宮城に入っていましたが。

 

因みに同日、Kは福岡の久留米でホール接客研修会の最中。

 

 

 

またTは、今出棺が終わり業務終了の報告をもらったばかり。

 

Iは今夜の帝国ホテル偲ぶ会の司会へ出発しました。

 

そして27日からは、いよいよ今年も始まる、

 

葬祭ディレクター受験対策研修会です。

 

ふー、フェアが終わったと思ったら次から次へと仕事の連続・・・

 

宮城の研修会は、ここ数年続けさせてもらっている[超参加型]の研修。

 

ということで、今年は【受注見積もり研修会】でした。

 

詳細については企業秘密ですので省かせていただきますが、

 

私の個人的な感想としては、この業務も男性よりは女性向きの気がします。

 

今回特に女性が優れていたとか、あるいは男性陣が見劣りしたとか、

 

そういうことではないのですよ。(誤解の無いように)

 

 

 

遺族の想いを聞く感性や、細やかな点にも配慮が届く心配りなどは、

 

一般に女性の方に適性があるのかな、と思います。

 

いつまでも、地域の慣習に逃げ込むようなやり方で、

 

(地域格差はありますが)通用するはずはありませんし、

 

ただ単に[男]というだけで有利に作用していた様々な葬祭業務も

 

その根本から見直すべきだし、また時代は確実にその方向へ向かっています。

 

 

 

今や葬儀の【受注見積もり】は、決して御用聞きではありませんから、

 

遺族の想いや故人の尊い人生を、どのような形でセレモニーに反映させる

 

ことができるのか、担当者のその感性、プロデュース能力が問われるのです。

 

しかし現実は、まあいろいろあって、どうしてもマニュアル化しています。

 

ちょっと考えさせられる研修会でした。

 

 

 

プライベートでは、またダイエットを再開しました。

 

今度は娘も巻き込んでやっています。

 

前回の「ダイエット作戦」は失敗しましたので、

 

今回は名付けて「スーパーダイエット作戦」(あまり変わらん)

 

朝は犬の散歩、夕方は夕陽に向かって4キロのジョギング。

 

くーっ、続くかなあ!

 

7月はハードスケジュール、今年もプチ家出状態が続くので

 

体力は蓄えておかないといけません。

 

 

 

そういえば・・・

 

今週の日曜からはまた秋田へ研修に行くのですが、昨年は大失敗をしました。

 

まだこのエッセイでも紹介しておりませんので簡単に披露いたしましょう。

 

 

 

その研修施設には宿泊棟もあり、当然私もそこへ泊まります。

 

ところが何を勘違いしたのか、(ビジネスホテルに泊まる習性かな)

 

私は石鹸・タオルなどの洗面具は一切持参しなかったのです。

 

講師の部屋は一人部屋でテレビまで付いておりました。

 

が、風呂(中浴場)へ行こうにもタオル一枚ありませんので、

 

どうしようかな?と思案した挙句、取り敢えず風呂を覘いてみました。

 

 

 

受講生が一人でポチャンと入っておりました。

 

「おっ、気持ちよさそうですね!」

 

等と言いながら、素早く辺りの様子を探ります。

 

幸い、石鹸とシャンプーが存在する事が判明しました。

 

これなら何とかなるぞ・・・要はタオルだけだな、

 

そう思って講師用の部屋に戻り、隅から隅まで探し回ったのです。

 

 

 

発見!私にツキがありました。

 

天が私に味方をしてくれたのでしょうか、15センチ四方のミニハンドタオル、

 

薄いレモン色のそれが一枚だけありました。

 

きっと台拭きですよね・・・誰が見てもそうですよね。

 

でもしっかり広げれば、大事な前の部分くらいは隠せるでしょう。

 

(私にしてみれば、まさにこれがタオルなのです)

 

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コロナ太り(miori)

おはようございます。
先週からようやく梅雨入りをしましたね。
折角セットした髪の毛も湿気でウネウネ、チリチリ。お化粧をしても、暑さと湿気ですぐにヨレてしまう。
いい事なんかひとつもありませんが…

さてさて、本題に入りますが…
自粛自粛といい加減自粛ムードも疲れ果てましたが、残念ながら今は自粛する他ありません。
以前に比べ、ちょっとした運動すらもしなくなり巷では「コロナ太り」と呼ばれる、自粛による体重の増加。
そりゃあ、ずーっと家にいて楽しみと言ったら※あつ森と食べることぐらい。(※あつまれどうぶつの森)

毎食毎食普通に食べて運動もしなかったら太る一方!

とYoutubeでなんとな~くダイエットの動画だったりエクササイズの動画を見漁っていると今の私にピッタリな関連動画が。
とあるキックボクサーの動画だったのですが、ご自身の減量の為の「減量食」を紹介したもの。

その中のひとつに「豆腐皮」というものがあり、気になったので業務スーパーへ。(おそらく業務スーパーでしか売ってない?)

目的の豆腐皮は冷凍コーナーにありました。

解凍しなければ食べられないので、冷蔵庫に入れ翌日を楽しみに就寝…
次の日。
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仙台で事件は起きた (井手)

 

 

 

2004721日・22日・23日の3日間。

 

仙台駅近くの某ホテルで事件は起きました。

  

721

 

んー、暑い。仙台も32度を越えた。
誰が言ったか知らないが、定年退職後にサラリーマンが住みたい場所は、仙台、静岡、広島なんだとか。それほど仙台は住みやすい場所のはずなのに、雪も思ったほどは降らず寒過ぎもせず、夏だって過ごしやすいのでは、と思っていた自分が甘かった。

 

しかし東京38.1度のテレビの文字に目を疑う。次の瞬間、甲府が40度を越えたとのアナウンス風呂の温度か ?
今度は耳を疑いたくなった。異常だ !
私は風呂でも39度位である

東京で二日連続38度を超えたのは、観測史上初とのこと。
しかも最低気温が30度を越えたまま夜が明けたらしい。
猛暑に焼かれる首都東京、これはもう単なるフェーン現象だとか、地球温暖化などの生易しい言葉では言い表せないだろう。大都市の不自然なコンクリートジャングルでのヒートアイランド現象に他ならない。

やはり、仙台は過ごしやすかった。
バテバテだとか休みがない、などと言いながらも、こんな暑い時期に東北を回れることに感謝して( ラッキー ! )、明日の講習会も全力を尽くすぞ、と。

 

722

 

朝から大騒ぎである。
というのも、ホテルのフロントに昨日の昼前に出しておいたワイシャツのクリーニングが、出発の時間になっても出来ていない !  事の顛末はこうだ。

 

午前10時、そろそろ出かける時間が迫ってきたので、今朝の6時には仕上がっているはずのワイシャツを部屋まで届けてほしいとフロントに電話を入れた。
「かしこまりました、ただいまお持ちいたします。」
ところが、5分ほどたった頃に部屋の電話がなる。
「申し訳ございませんが、ワイシャツは今日の夕方出来上がります」
「えっ ! ?
すでに私は、スーツのズボンを穿き、上は下着のシャツ一枚である。
「確かに頼んであるんだけど、どういうことですか?
「ですから本日の夕方には仕上がります」
何だって ! 午前11時にはチェックアウトなのに夕方仕上がりのクリーニングを頼むはずがないだろう。私は確かに昨日の昼前にワイシャツをフロントに持参してクリーニングを依頼した。そして夜10時までに提出のクリーニングは、翌朝6時までに出来るということだったのだ。じゃなければ頼むはずがない。チェックアウト後に仕上がるクリーニングをどうやって取りに来るのだ。ましてやここは仙台だよ。

意味のない押し問答と、建設的でない侘びの言葉だけを浴びせられ、出発の時間だけが迫ってきた。
「何かワイシャツ持ってきてよ、これじゃ仕事に出掛けられないから
下着のシャツにそのままネクタイして、スーツ羽織って受講生の前に登場しろってか。まったく[ 全員集合 ! ]じゃあるまいし

と「ピンポーン」担当のフロント係が持ってきたのはクリーニング袋にぐちゃぐちゃに入れられ、少しばかり発酵しかけた私のワイシャツだったのだ。
「何かワイシャツ持ってきてよ ! 」って確かに言ったけど、これは…???
出し忘れていたのか ! ? 丸一日フロントに置いてあったとしか思えない。しかもこれを着ろと言わんばかりでる。 相手の神経がわからない、ものすご過ぎて、私の想像を超えている。

目の前では、担当の女性が申し訳ありませんでしたと謝りながらも、そのワイシャツの入ったぐちゃぐちゃの袋を丁寧に差し出している。
私は不覚にもここでやっと理解した。
このスタッフにはトラブル処理能力が全くないのだ。
困っているお客様に対して、クレームが怖いのか、ただひたすら謝り続けるという保身ばかりで、何も解決しようとしないし、そんな発想がないのだ。

数分後、マネージャーとやらが飛んできた。
とにかくワイシャツを用意して欲しい旨を頼む。新品なら購入するし、なければスタッフの何方かのモノをお借りして後日クリーニングしてお返ししますからと言った。
もちろん「クリーニングして」のところを強調することも忘れなかったつもりだが。

案の定、新品の予備は用意していないとのこと。今時の葬祭ホールでもあるよワイシャツくらいと思ったが仕方がない。代わりにスタッフのモノを貸してくれるという。
「サイズは?」
「首周りは41

2分後、再び登場したマネージャーが持参したワイシャツは、首周り40で少しサイズが小さい。が、これしかないと言い張っている。
完全にあきらめた。全員集合よりはマシだと思った。着てみた。鏡に映る自分がどこか間抜けで気力が萎えた。人間が一回り小さくなったように思ったのは気のせいか?

とにかく出掛けよう。講習会が待っている。人生山あり谷ありだ。でも、このネタでエッセイが書けると喜んでいる自分がいたのも事実だ。地方に行けばいろんなことがあるさ。ホテルを出て駅に向かいながら、「広瀬川、流れる岸辺」と口ずさみながら歌ってみたりもしたが、一向に爽やかな気分になれない。

地下鉄に乗り、クーラーが効いた車両のせいか少し頭が冷えてきた。
私だっていろんな失敗をして、人に迷惑をかけながら今日まで生きてきたんだ。
お互い様、お互い様と自分に言い聞かせ、面白い体験ができたことに感謝すればいい。サイズが小さいワイシャツなんて、人生で滅多に着れるもんじゃないぞ。ツンツルテンの袖口をうまくスーツから出す仕草も少しずつ上達してきたし、受講生の前では途中から上着を脱いで、ワイシャツを捲り上げれば頑張っている感じも良く出るだろう。首周りが小さいので、汗だって思った以上に噴出してくれて、講師が一人で奮闘している様子だって醸し出される、かもしれない。

とにかく無事に講習会場まで辿り着くことが出来たのである。
さて肝心の講習会については、また後日

 

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部屋とYシャツと私…寝坊とスーツと私(井手)

 

コロナ禍で大河ドラマも朝ドラも一旦中止になるらしい。

 

他局も再放送や未公開シーンの再編やらで乗り切るつもりだそうだ。

 

いいなあ、簡単で…ということは、弊社のブログも再放送みたいにやってみるか。

 

今月から司会講座が少しずつ動きだしてるとはいえ、

 

地方へ行かないから書くことが無くなりつつある。

 

ならばと、2004年から書き溜めた宝のようなエッセイの数々があるではないか。

 

まずは16年前、私は今まで1度も遅刻したことがありません(当たり前ですが)、

 

ただ最大のピンチがこの時でした。

 

2004年7月のことです。場所は神奈川県、平塚研修センター。

 

 

「今、何時?」と、起き抜けの声
「8時05分です」出来るアシスタントはピシャリと言い放つ。
「えっ-!!今、起きたところだ。大変だ!」
思い切り電話を切られた。

 

8時30分に受講生の皆さんが集まって来るのに井手講師は寝坊をしたらしい。
幸い平塚の研修センターは向かいが宿泊棟になっているので、時間までに慌てて来るでしょうと思っていたらギリギリになって余裕な顔をして登場してきた。

全国ツアーの真っ最中なのでお疲れなのでしょうね
昨年は全く声が出なくなり、喉に直接消炎注射をしながら研修を続けたことを思い出した。今年も無事にツアーが終了しますように

今年2回目の平塚2級ディレクター試験対策研修会が開催されました。
アシスタントの私は紅一点。JAさんの女性も、もっともっと葬祭に進出してほしいな~といつも思ってしまいます。

さて、研修会は、とにかく皆さんの出来がいいのでびっくりしました。
少人数の研修会だった為か?元々実力のある方ばかりが集まった為か?はたまた井手講師が睡眠たっぷりで、教え方の調子が良かったためか、んっ???
この調子なら今回の受講生の皆さんはほぼ全員が合格できるかも。
私も嬉しくなり2日間の研修会が終了しました。
相変わらず暑い日が続きますが体調に気をつけがんばってくださいね。
大変お疲れ様でした。

「あ~スカートがきつい!」何だか上着までもがきつい気がする。
不謹慎ながらアシスタントを務めながら頭に浮かんだ言葉です。
(出来る受講生だと暇なもので 連日の酷暑のおかげでビールの量が増えるばかり成りまずい!中年太りは避けたい。明日から運動をして絶対に痩せてやる!!と誓いつつ、教壇を眺めれば、もっと気を付けなければいけない人が。
井手講師!太りすぎですっ!!

 

 

 

 

 

いやあ、覚えてますよ。

 

当時は、宿泊棟で飲酒できましたので(現在は禁酒になってます)

 

葬祭の参加メンバーとかなり遅くまで飲んでいました。

 

懐かしいです。

 

そして翌日、佐賀へ向かいます。

 

睡眠タップリとってあるから調子がよさそうです。

 

 

 

はなわのヒット曲ですっかり全国区になった佐賀
駅前通りでは、ヘルメット姿で通学する女子中学生にも遭遇しましたが、すっかり街並みに溶け込んでいて違和感は感じなかったなあ。
とても長閑で、きっと暮らしやすい所ですよ佐賀は。
因みに、「山下さんち前」というバス停は存在しないそうです。

 

さて講習会はノンビリとスタートしました。7月のツアー最後の講習会で気合が入っていた私も、皆さんのムードに包まれていつのまにか穏やかになっていたようです。
佐賀の方は明るく真面目な方が多いですね。ただ少し消極的なのが残念。
もう少しガンガン行きましょう皆さん、頑張ってくださいよ

終了後は、近頃何かと話題になる佐賀牛を、レストラン季楽で食しました。
これが、うまいっ!絶品です!いやあ参った参った。
佐賀にこんな旨いものがあったなんて、不覚でした。

 

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マスク型日焼け (井手)

 

 

緊急事態宣言が全面解除されて2週間以上経った。

 

私が思っていたほど、クラスター感染は起きていない。

 

もっと多発するのではと思っていたが、どういうことなのか。

 

歌舞伎町や銀座という特殊な夜の街関連の感染だけが止まらないが、

 

それ以外は何とかなっている。

 

ただ、2030代の若い方の感染が多いのが気にはなる。

 

 

 

これは、新しい生活様式に変化させなければと国民が努力しているお陰なのだろうか。

 

だとしても2週間、今後、油断していたらあっという間に第2波が襲ってくる。

 

しかし第2波をある程度は想定し、模索しながら経済活動を進めていくしかない。

 

レジャー関連の感染がいつ現れるか…逆に言うと、まだ出ていないのだ。

 

パチンコ店もクラスター感染がなかったけれど、何か不思議だ。

 

デパートやスーパーでは、ソーシャルディスタンスや

 

入り口での手指の消毒などが当たり前になってきた。

 

これから日を追うごとに人の往来が増すはずだが、

 

やはり感染を防ぐのは、最後は一人一人の意識の問題だ。

 

 

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