3月19日に島根県で司会研修を行ってから65日振りに愛知県で講座再開となった。
いよいよオンラインでの司会講座も考慮しなければと思っていた矢先のことだ。
この間、約2か月…コロナ禍により葬祭業界の売り上げは半分以下、
良いケースでも2/3にまで落ち込んでいる。
売上だけでなく、施行自体も単に小規模化しただけではない。
葬儀施行はコロナ対策がメインになり、スタッフ全員が毎日検温(顧客も)し、
手指消毒の徹底、マスクやフェイスシールドの着用、換気に気を配り、
社会的距離を保ち…と忙しい。
(仕事が、どえりゃーおおじょうこいた…訳:とても大変になったよ)
コロナさえなければと心底思うが、それは誰でも、どの業界でも同じ気持ちだろう。
当時はこんな長文を直ぐに書いていました。
やはり若いですね。
読み直してみて、爆笑しております。
では、築地本願寺にて。
A「もし釈珍念(しゃく・ちんねん)だったらどうする?」
B「ちょっと恥ずかしいよなあ」
C「珍念はないだろう?いくらなんでも」
D「だって珍念さんって呼ばれるわけだよね」
B「子供に笑われそうだな」
A「結構受けるかもね」
B「・・・坊主になるのやめようかなあ?」
と、男たちは顔を見合わせて吹き出してしまう。
中仏に通う、いい年こいた四人の学生の喫煙ルームでの面白い会話である。
築地本願寺のこんなところで煙草吸ってます。
2005年に無事卒業しております。
一応、教師資格というのでしょうか…あまりというか全然使ってないので不明です。
南無阿弥陀仏!で一泊二日(井手一男)
卒業試験無事終了です。
受かったかどうかは不明ですが、全力は尽くしました。
人事を尽くして天命を待つ。
結果は神のみぞ知る…じゃなくて、
仏のみぞ知る…です。
合否判定は8月上旬に、ピンク地桜模様の、それはそれはステキな
「ご卒業おめでとうございます」の紙が入っていれば卒業式へ。
無味乾燥、来年度の振込用紙が入っていれば、留年!(トホホ)
今からドキドキものですな。
いやあ、いい経験をさせてもらいました。
ここ一週間は寝ても醒めても南無阿弥陀仏。
鼻くそほじっても、耳アカを採っても、私の身体の何処を切り取っても
南無阿弥陀仏の金太郎飴が出来上がっていました。
この年になって試験を受けるのは、いい勉強になります。
真夏の暑い日…
大して美味しくもないラーメンの大盛りを食べ切った時のような、
途中で何度も、もう残そうかなという誘惑に負けずに頑張り通した時のような、
実に清々しい達成感がありました。
(喩えが悪すぎ)
一日6科目を受験するのですが、その内2科目は実技と筆記ですので、
受けている側からすれば、実質8科目の感覚なのです。
これは実にハード。(終了時ヨレヨレ)
問題も、それなりに難しいでっせ。
「顕戒論について述べよ」
これ天台宗の最澄の著した書物です。
確かに仏教の歴史の中では、ある意味ターニングポイントになった本ですが、
浄土真宗本願寺派の試験ですからね、普通はわからないですよね。
(因みに私はバッチシ!…自慢)
「聖徳太子の仏教信仰について述べよ」
十七条憲法の第十条ご存知ですか?
有名なのは、
第一条「和を持って尊しとす」
第二条「篤く三宝を敬え」
第三条「詔を受けては謹め」
ですが、第十条が素晴らしいのです。
「人皆心あり、心おのおの執あり・・・中略・・・我必ずしも聖にあらず、
彼必ずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫のみ」
自分は決して聖ではない、間違いも犯すし凡夫である。
人の善悪や是非を決定すべき者ではないが、この認識とそこからの離脱を
教えてくれるのが仏教でありますよ、と説いているのですね。
やっぱ、聖徳ちゃんは偉いわ!
因みに彼は、和国の教主、または日本仏教の祖と呼ばれています。
(くー、このこの!)
私の答えには、当然この第十条を使わせていただきましたよ。
宗教法人法の試験問題では、
「宗教法人に義務付けられている備え付け書類についてと閲覧について」
なのですが、これ法律でして、所轄庁(文部科学大臣または知事)からの
認証書など9項目あるのです。(もちろん暗記してますが…何気に自慢)
面白いのは閲覧については、オウム事件以降改正されておりまして、
「信者または利害関係者で、閲覧に付き正当な理由があり、
かつ不当な目的でない者からの要請に対しては、閲覧させなければならない」
ってこれ、当局のことでしょ!(やっぱりね)
それからお勤めの教科書に面白い記述があるのです。
堂内の歩き方なのですが、
「ごく自然に左足から進み出て、1メートルを2歩程度の歩幅で歩く」
凄いねこれ、「ごく自然に…」だよ。
皆俳優じゃないんだからさ、意識すればするほど、
不自然に左足から出てしまう人が続出。
(手と足がバラバラでギクシャクしてました)
今後は、横断歩道で停まったときも、信号が青になって渡るときは
左足から歩き出しましょう!
まあ試験のことをぐちゃぐちゃ書いても仕方ないですが、
実は一科目だけ失敗しました。
それが何と、一番得意なはずだった「法話実演」なんです。
調子に乗ってペラペラと喋ってしまいましたがな。
講師が唖然としてました、というか、そんな空気を感じてしまったのです。
これはまずかったかな?という感じです。
もし、落としているとしたら…これかな。
そん時はまた来年頑張ります。
試験終了後は、皆で一杯やりまして、やはり「内願」の話がでました。
つまり自分の法名を自分で希望すべく「内願」するのですが、
皆さん自分の法名が気になるみたいですねえ。
釈珍念…どうですか?差し上げますよこの名前、とお奨めしときました。
かなりヒンシュクを買いましたけど。
ただ内願の際に、漢字二文字でカタカナ・ローマ字は駄目らしいのです。
つまり、釈MCや釈K1は駄目だということが判りました。
例外として、外人さんが得度される際に、釈真亜倶(しゃくマーク)とかは
あるらしいですけど、私の場合は正当な理由がありませんからね。
格式があって、趣があって、名前だけで尊敬できるような…
そんな名前をこれから考えようと思います。
因みに得度式に出させていただくのに、何処かのお寺の住職の
保証が必要なんですが(実印を押してもらう)、その謝礼金についても
いろいろな話題が上っていました。
どこまでいっても「お金」なんですかねえ、お寺は。(残念)
実はこの頃、中央仏教学院の通信で僧侶コースに入ってました。
通信とは言いながら、毎週日曜日には弁当持参で築寺の本願寺に通っていたのです。
お勤めと声明の実技試験で左膝を痛めたみたいで…
私が修行不足だからいけないんです。
正座すると、体重の重みがもろに掛かります。
太りすぎた自分が悪いのです。
いやあ参った参った!
ところで随分と、研修会後の報告レポートが溜まっています。
一気に処理をいたしましょう。
まずは、4月と5月の2ヶ月に渡って、東京都内のある葬儀社様に
連続8回の司会実技研修会をさせていただきました。
葬儀司会の取り組み方の意識改革。
徹底した基礎練習によるステップアップとブラッシュアップ。
更には、司会の実務から間口を広げて(いつものことですが)
様々な宗教儀礼と司会アナウンス言葉の連動…具体的には、
宗派別の開式や閉式のタイミングとお経・作法の関係、
現場施行報告書などによるデータ活用術等々…多岐に渡った。
当然、全宗派のお経本もご紹介させていただき、
今後はそれらを購入して大いにご活用してくださるだろう。
何より嬉しかったのは、会社を上げて真剣に取り組まれているから、
毎朝の朝礼時に、右脳トレーニング2分、左脳トレーニング5分を
取り入れられていたことだ。
(電話業務にもかなりの効果を発揮するだろう)
お陰で参加者の滑舌レベルが驚異的に上がり、全体の司会レベルが
こちらの予想以上に上達してくれた。
個人単位ではなく、社を上げての取り組みが功を奏したのだろう。
ベテランも新人も(むしろ新人の方が上手いが)レベルに格差がなくなり、
司会を担当する人によってバラついていた司会実務の安定した供給が見込める。
一人の傑出した人材も必要だが、チーム全体としてのレベルアップは、
間違いなく会社のためになるだろう。
今後の更なるご活躍をお祈りしたい。
次に、島根県へと飛んだ。
男女半々の20名弱のご参加であった。
[よー来てごしなはったのー!]
毎年声を掛けていただいているが、女性の参加が増えつつあるようだ。
研修会場は【島根ワイナリー】の会議室。
かつてお世話になっていた葬儀社の社長が亡くなられたとの知らせ…
10年ほど前になるだろうか、その社長が体調を崩され3ヶ月ほど入院された時には、葬儀の見積りから集金まで担当させていただいたものである。大変お世話になった。
思い出はたくさんある。二人で品川から熱海まで宅下げに伺ったり、桐ケ谷火葬場の火夫さん達の控え室で、社長が好物だったカツライスの出前を一緒に食べたり、とても短気で、気分屋で、酒好きで、女性に優しくて、人材に厳しくて、それはそれは魅力的な社長だった。
私は不思議とこういう理屈で推し量れない、やんちゃな子供がそのまま大人になったような人物にかわいがられるタイプで、社長との思い出は尽きない。
心からご冥福を祈りたい。
(前回に続き、2005年の秋田研修会の話)
霧で霞む高速道路に、白い盆のような月が見えた。雄勝から秋田空港までの道のりを、右に左に追いかけてくる。約100キロの道程、2日間にわたり送迎してくださった事務局の方には心から御礼を申し上げたい。お疲れのところ本当にありがとうございました。
午前中は「受注接遇」、午後は「司会研修」の2本立て。更に和室を使っての「受注実践ロープレ」まで組み込まれたハードスケジュール。昼食休憩に割り当てられた時間はわずか30分である。しかし、これ位の研修をやって良い。必ずクオリティが上がるはずだ。秋田の皆さん、大変お疲れ様でした。
そしてまたまた、喋り過ぎて・・・案の定ノドが痛い。私はノドが痛くなると、不思議と煙草を吸い過ぎる。痛い奥歯をわざと押して確認するようなものだ。この性格、何とかならないものか?
次回のセミナーは天の恵みか20日間も開いている。というわけで、中学生の娘と幼稚園の息子と、ついでに女房も引き連れて家族サービスでもするか。たまには父親としての威厳を見せないといけない。もう全国各地のお土産だけでは、さすがに誤魔化しが効かなくなっている。
2004年7月のことです
暑い・・・
もう日本全国、何処へ行っても暑いですな。
今日から東京は4日間ほど34度くらいになるらしい・・・
(勘弁してよもう)
さて先日宮城県へ行ってきました。
私が研修会で伺ったその日に、工場長も別件で宮城に入っていましたが。
因みに同日、Kは福岡の久留米でホール接客研修会の最中。
またTは、今出棺が終わり業務終了の報告をもらったばかり。
Iは今夜の帝国ホテル偲ぶ会の司会へ出発しました。
そして27日からは、いよいよ今年も始まる、
葬祭ディレクター受験対策研修会です。
ふー、フェアが終わったと思ったら次から次へと仕事の連続・・・
宮城の研修会は、ここ数年続けさせてもらっている[超参加型]の研修。
ということで、今年は【受注見積もり研修会】でした。
詳細については企業秘密ですので省かせていただきますが、
私の個人的な感想としては、この業務も男性よりは女性向きの気がします。
今回特に女性が優れていたとか、あるいは男性陣が見劣りしたとか、
そういうことではないのですよ。(誤解の無いように)
遺族の想いを聞く感性や、細やかな点にも配慮が届く心配りなどは、
一般に女性の方に適性があるのかな、と思います。
いつまでも、地域の慣習に逃げ込むようなやり方で、
(地域格差はありますが)通用するはずはありませんし、
ただ単に[男]というだけで有利に作用していた様々な葬祭業務も
その根本から見直すべきだし、また時代は確実にその方向へ向かっています。
今や葬儀の【受注見積もり】は、決して御用聞きではありませんから、
遺族の想いや故人の尊い人生を、どのような形でセレモニーに反映させる
ことができるのか、担当者のその感性、プロデュース能力が問われるのです。
しかし現実は、まあいろいろあって、どうしてもマニュアル化しています。
ちょっと考えさせられる研修会でした。
プライベートでは、またダイエットを再開しました。
今度は娘も巻き込んでやっています。
前回の「ダイエット作戦」は失敗しましたので、
今回は名付けて「スーパーダイエット作戦」(あまり変わらん)
朝は犬の散歩、夕方は夕陽に向かって4キロのジョギング。
くーっ、続くかなあ!
7月はハードスケジュール、今年もプチ家出状態が続くので
体力は蓄えておかないといけません。
そういえば・・・
今週の日曜からはまた秋田へ研修に行くのですが、昨年は大失敗をしました。
まだこのエッセイでも紹介しておりませんので簡単に披露いたしましょう。
その研修施設には宿泊棟もあり、当然私もそこへ泊まります。
ところが何を勘違いしたのか、(ビジネスホテルに泊まる習性かな)
私は石鹸・タオルなどの洗面具は一切持参しなかったのです。
講師の部屋は一人部屋でテレビまで付いておりました。
が、風呂(中浴場)へ行こうにもタオル一枚ありませんので、
どうしようかな?と思案した挙句、取り敢えず風呂を覘いてみました。
受講生が一人でポチャンと入っておりました。
「おっ、気持ちよさそうですね!」
等と言いながら、素早く辺りの様子を探ります。
幸い、石鹸とシャンプーが存在する事が判明しました。
これなら何とかなるぞ・・・要はタオルだけだな、
そう思って講師用の部屋に戻り、隅から隅まで探し回ったのです。
発見!私にツキがありました。
天が私に味方をしてくれたのでしょうか、15センチ四方のミニハンドタオル、
薄いレモン色のそれが一枚だけありました。
きっと台拭きですよね・・・誰が見てもそうですよね。
でもしっかり広げれば、大事な前の部分くらいは隠せるでしょう。
(私にしてみれば、まさにこれがタオルなのです)
2004年7月21日・22日・23日の3日間。
仙台駅近くの某ホテルで事件は起きました。
7月21日
んー、暑い。仙台も32度を越えた。
誰が言ったか知らないが、定年退職後にサラリーマンが住みたい場所は、仙台、静岡、広島なんだとか。それほど仙台は住みやすい場所のはずなのに…、雪も思ったほどは降らず寒過ぎもせず、夏だって過ごしやすいのでは、と思っていた自分が甘かった。
しかし東京38.1度のテレビの文字に目を疑う。次の瞬間、甲府が40度を越えたとのアナウンス…風呂の温度か ?
今度は耳を疑いたくなった。異常だ !
( 私は風呂でも39度位である )
東京で二日連続38度を超えたのは、観測史上初とのこと。
しかも最低気温が30度を越えたまま夜が明けたらしい。
猛暑に焼かれる首都東京…、これはもう単なるフェーン現象だとか、地球温暖化などの生易しい言葉では言い表せないだろう。大都市の不自然なコンクリートジャングルでのヒートアイランド現象に他ならない。
やはり、仙台は過ごしやすかった。
バテバテだとか休みがない、などと言いながらも、こんな暑い時期に東北を回れることに感謝して( ラッキー ! )、明日の講習会も全力を尽くすぞ、と。
7月22日
朝から大騒ぎである。
というのも、ホテルのフロントに昨日の昼前に出しておいたワイシャツのクリーニングが、出発の時間になっても出来ていない ! 事の顛末はこうだ。
午前10時、そろそろ出かける時間が迫ってきたので、今朝の6時には仕上がっているはずのワイシャツを部屋まで届けてほしいとフロントに電話を入れた。
「かしこまりました、ただいまお持ちいたします。」
ところが、5分ほどたった頃に部屋の電話がなる。
「申し訳ございませんが、ワイシャツは今日の夕方出来上がります」
「えっ ! ? 」
すでに私は、スーツのズボンを穿き、上は下着のシャツ一枚である。
「確かに頼んであるんだけど、どういうことですか?」
「ですから本日の夕方には仕上がります」
何だって ! 午前11時にはチェックアウトなのに夕方仕上がりのクリーニングを頼むはずがないだろう。私は確かに昨日の昼前にワイシャツをフロントに持参してクリーニングを依頼した。そして夜10時までに提出のクリーニングは、翌朝6時までに出来るということだったのだ。じゃなければ頼むはずがない。チェックアウト後に仕上がるクリーニングをどうやって取りに来るのだ。ましてやここは仙台だよ。
意味のない押し問答と、建設的でない侘びの言葉だけを浴びせられ、出発の時間だけが迫ってきた。
「何かワイシャツ持ってきてよ、これじゃ仕事に出掛けられないから ! 」
下着のシャツにそのままネクタイして、スーツ羽織って受講生の前に登場しろってか。まったく[ 全員集合 ! ]じゃあるまいし…。
と「ピンポーン」担当のフロント係が持ってきたのはクリーニング袋にぐちゃぐちゃに入れられ、少しばかり発酵しかけた私のワイシャツだったのだ。
「何かワイシャツ持ってきてよ ! 」って確かに言ったけど、これは…???
出し忘れていたのか ! ? 丸一日フロントに置いてあったとしか思えない。しかもこれを着ろと言わんばかりでる。 相手の神経がわからない、ものすご過ぎて、私の想像を超えている。
目の前では、担当の女性が申し訳ありませんでしたと謝りながらも、そのワイシャツの入ったぐちゃぐちゃの袋を丁寧に差し出している。
私は不覚にもここでやっと理解した。
このスタッフにはトラブル処理能力が全くないのだ。
困っているお客様に対して、クレームが怖いのか、ただひたすら謝り続けるという保身ばかりで、何も解決しようとしないし、そんな発想がないのだ。
数分後、マネージャーとやらが飛んできた。
とにかくワイシャツを用意して欲しい旨を頼む。新品なら購入するし、なければスタッフの何方かのモノをお借りして後日クリーニングしてお返ししますからと言った。
もちろん「クリーニングして…」のところを強調することも忘れなかったつもりだが。
案の定、新品の予備は用意していないとのこと。今時の葬祭ホールでもあるよワイシャツくらいと思ったが仕方がない。代わりにスタッフのモノを貸してくれるという。
「サイズは?」
「首周りは41で…」
2分後、再び登場したマネージャーが持参したワイシャツは、首周り40で少しサイズが小さい。が、これしかないと言い張っている。
完全にあきらめた。全員集合よりはマシだと思った。着てみた。鏡に映る自分がどこか間抜けで気力が萎えた。人間が一回り小さくなったように思ったのは気のせいか?
とにかく出掛けよう。講習会が待っている。人生山あり谷ありだ。でも、このネタでエッセイが書けると喜んでいる自分がいたのも事実だ。地方に行けばいろんなことがあるさ。ホテルを出て駅に向かいながら、「広瀬川、流れる岸辺…」と口ずさみながら歌ってみたりもしたが、一向に爽やかな気分になれない。
地下鉄に乗り、クーラーが効いた車両のせいか少し頭が冷えてきた。
私だっていろんな失敗をして、人に迷惑をかけながら今日まで生きてきたんだ。
お互い様、お互い様と自分に言い聞かせ、面白い体験ができたことに感謝すればいい。サイズが小さいワイシャツなんて、人生で滅多に着れるもんじゃないぞ。ツンツルテンの袖口をうまくスーツから出す仕草も少しずつ上達してきたし、受講生の前では途中から上着を脱いで、ワイシャツを捲り上げれば頑張っている感じも良く出るだろう。首周りが小さいので、汗だって思った以上に噴出してくれて、講師が一人で奮闘している様子だって醸し出される、かもしれない。
とにかく無事に講習会場まで辿り着くことが出来たのである。
さて肝心の講習会については、また後日…。
コロナ禍で大河ドラマも朝ドラも一旦中止になるらしい。
他局も再放送や未公開シーンの再編やらで乗り切るつもりだそうだ。
いいなあ、簡単で…ということは、弊社のブログも再放送みたいにやってみるか。
今月から司会講座が少しずつ動きだしてるとはいえ、
地方へ行かないから書くことが無くなりつつある。
ならばと、2004年から書き溜めた宝のようなエッセイの数々があるではないか。
まずは16年前、私は今まで1度も遅刻したことがありません(当たり前ですが)、
ただ最大のピンチがこの時でした。
2004年7月のことです。場所は神奈川県、平塚研修センター。
「今、何時?」と、起き抜けの声…。
「8時05分です」出来るアシスタントはピシャリと言い放つ。
「えっ-!!今、起きたところだ。大変だ!」
思い切り電話を切られた。
8時30分に受講生の皆さんが集まって来るのに井手講師は寝坊をしたらしい。
幸い平塚の研修センターは向かいが宿泊棟になっているので、時間までに慌てて来るでしょう…と思っていたらギリギリになって余裕な顔をして登場してきた。
全国ツアーの真っ最中なのでお疲れなのでしょうね…。
昨年は全く声が出なくなり、喉に直接消炎注射をしながら研修を続けたことを思い出した。今年も無事にツアーが終了しますように…。
今年2回目の平塚2級ディレクター試験対策研修会が開催されました。
アシスタントの私は紅一点。JAさんの女性も、もっともっと葬祭に進出してほしいな~といつも思ってしまいます。
さて、研修会は…、とにかく皆さんの出来がいいのでびっくりしました。
少人数の研修会だった為か?元々実力のある方ばかりが集まった為か?はたまた井手講師が睡眠たっぷりで、教え方の調子が良かったためか、んっ???
この調子なら今回の受講生の皆さんはほぼ全員が合格できるかも。
私も嬉しくなり2日間の研修会が終了しました。
相変わらず暑い日が続きますが体調に気をつけがんばってくださいね。
大変お疲れ様でした。
「あ~スカートがきつい!」何だか上着までもがきつい気がする。
不謹慎ながらアシスタントを務めながら頭に浮かんだ言葉です。
(出来る受講生だと暇なもので…) 連日の酷暑のおかげでビールの量が増えるばかり成り…まずい!中年太りは避けたい。明日から運動をして絶対に痩せてやる!!と誓いつつ、教壇を眺めれば、もっと気を付けなければいけない人が。
井手講師!太りすぎですっ!!
いやあ、覚えてますよ。
当時は、宿泊棟で飲酒できましたので(現在は禁酒になってます)
葬祭の参加メンバーとかなり遅くまで飲んでいました。
懐かしいです。
そして翌日、佐賀へ向かいます。
睡眠タップリとってあるから調子がよさそうです。
はなわのヒット曲ですっかり全国区になった佐賀 。
駅前通りでは、ヘルメット姿で通学する女子中学生にも遭遇しましたが、すっかり街並みに溶け込んでいて違和感は感じなかったなあ。
とても長閑で、きっと暮らしやすい所ですよ佐賀は。
因みに、「山下さんち前」というバス停は存在しないそうです。
さて講習会はノンビリとスタートしました。7月のツアー最後の講習会で気合が入っていた私も、皆さんのムードに包まれていつのまにか穏やかになっていたようです。
佐賀の方は明るく真面目な方が多いですね。ただ少し消極的なのが残念。
もう少しガンガン行きましょう皆さん、頑張ってくださいよ !
終了後は、近頃何かと話題になる佐賀牛を、レストラン季楽で食しました。
これが、うまいっ!絶品です!いやあ参った参った。
佐賀にこんな旨いものがあったなんて、不覚でした。
緊急事態宣言が全面解除されて2週間以上経った。
私が思っていたほど、クラスター感染は起きていない。
もっと多発するのではと思っていたが、どういうことなのか。
歌舞伎町や銀座という特殊な夜の街関連の感染だけが止まらないが、
それ以外は何とかなっている。
ただ、20代30代の若い方の感染が多いのが気にはなる。
これは、新しい生活様式に変化させなければと国民が努力しているお陰なのだろうか。
だとしても2週間、今後、油断していたらあっという間に第2波が襲ってくる。
しかし第2波をある程度は想定し、模索しながら経済活動を進めていくしかない。
レジャー関連の感染がいつ現れるか…逆に言うと、まだ出ていないのだ。
パチンコ店もクラスター感染がなかったけれど、何か不思議だ。
デパートやスーパーでは、ソーシャルディスタンスや
入り口での手指の消毒などが当たり前になってきた。
これから日を追うごとに人の往来が増すはずだが、
やはり感染を防ぐのは、最後は一人一人の意識の問題だ。
アメリカの白人警察官が黒人男性に暴行して死亡させた悲惨な事件。
差別を許さないとして抗議する動きは米国のみならず世界中に広まっています。
大阪のケースでは、テニスの大坂なおみ選手が参加を呼びかけるなどして話題となり、
参加者は外国人を中心に約1000人のデモとなったようです。
この事件は私も何度かニュースやyoutobeで見ましたが、酷過ぎますね。
あんな行為を行う人間が警察官だなんて信じられません。
アメリカという国のことが嫌いになります。
私は2度、葬祭関係で視察に伺いましたが、その時も差別感をヒシヒシと感じました。
「ちょっとこの国は…」という感想を持たざるを得ない。
どうしても基準が日本になっていますので、特にそう感じるのです。
地球上から人種差別の根絶は難しいとは思いますが、
ハーフが山ほど生まれて人口の大半を占めれば…変わりますか。
私は入間基地の近くに暮らしていますので、基地で働く外人も多く
その周辺では諸外国のお店も割と多く存在します。
幼稚園、小中高とハーフのお子さんが数多くいらっしゃいます。
運動会なんて、黒人の子は花形ですよ。
対抗リレーの選手は、大体3分の1程度が黒人系のハーフです。
また、PTA対抗の玉入れなんか黒人のお父さんが大活躍。
2メートル近い身長で彼が一人で球を入れる役、
そして日本人のお父さんやお母さんは、ただ彼に球を巧く早く渡すだけです。
運動能力は桁違いで、運動会のヒーローなんですけど。
日本で政治家が使っていた「揺りかごから墓場まで」という言葉は、
第2次世界大戦後のイギリスにおける社会福祉政策のスローガンです。
生まれてから死ぬまでの間、社会福祉政策の充実を表現する言葉です。
私は、言葉通りに受け取っていました。
2.3日後には関東も梅雨入りですね。
さて、昨日は3か月ぶりにコロナ関連死がゼロでした。
嬉しいですね、こうして徐々にではありますが、
新生活用式に慣れながら終息していくと、お葬式も少しずつ可動域が広がります。
では、3日前に書いたブログです。
舌鋒は好いが舌禍は困る。
麻生氏の発言は毒舌ですが、それは北九州の民度も影響しているかも。
私も同じ地方の出身だから彼の発言には何となく思うところもあり、でもやはり、
TPOを考慮すれば大臣としての発言がそれでは世界に対していけないだろう。
まったく残念なオジサンになってしまっている。
毎日が暇でしょうがない。
こんな人生も悪くないなあ、と思いながら、時間潰しが家族サービスになり、
家族サービスなのに自分が一番楽しんでいる。
折角の人生、楽しく過ごさなければ…ね。
ある時、この勿体ない時間「焼き物をやってみようか」と真剣に娘に聞いた。
そしたら一言「朝ドラの見過ぎでしょ!」そんなことより
「お父さん、絵を書けば」
「絵っ、絵、え~描けませーん!」
だから焼きものなんだと、と訳の分からない理屈を並べていました。
漢検でも受けてみるか?
ふと頭を過るが、なかなか難しそうだ。
そうこうしている内に学校が徐々に再開になり、小・中・高の学生がいる我が家は
途端に新型コロナ罹患の確率が一気に上がるというピンチに陥った。
と思えば、有難いことに「司会講習会」の依頼が。
早速、フェイスガードを付けてみて喋ってみた。
声量が3~4割減とのこと。
新しい生活様式に馴染まない司会講座…どうするか考えよう。
憲法や政治意識について尋ねる全国世論調査を朝日新聞が実施した。
(3月上旬~4月中旬、郵送)
次期首相の名前を具体的に6名挙げて質問しているが、
その6名を挙げた理由は不明のようだ。
少し礼儀を欠く失礼な質問だったかもしれないが、そこは突っ込まない。
石破茂氏・岸田文雄氏・河野太郎氏・菅義偉氏・小泉進次郎氏・枝野幸男氏、
この6名の名前が挙がっている。
以下、朝日デジタルニュースより抜粋。
次の首相に求める資質を5択で聞くと、全体では、「公正さ・誠実さ」が40%で最多。
(そりゃそうだろう、今の首相には公正さ・誠実さが無いからね)
「リーダーシップ」22%、「政策・理念」20%、「調整能力」11%、「発信力」4%と続いた。
次の首相の支持層別では、支持率が6人中トップだった石破茂氏の支持層は「公正さ・誠実さ」45%がもっとも多く、「リーダーシップ」23%、「政策・理念」20%と続いた。
一方、安倍晋三首相が「後継者」と目するとされる岸田文雄氏の支持層は「リーダーシップ」33%がもっとも多かった。「政策・理念」26%が続き、「公正さ・誠実さ」は24%の3番手だった。
ほかの政治家の支持層をみると、「公正さ・誠実さ」がトップだったのは、39%の小泉進次郎氏と、53%の枝野幸男氏。一方、「リーダーシップ」がトップだったのは、34%の河野太郎氏と、26%の菅義偉氏…以下省略
14世紀。
ペストがヨーロッパで猛威を振るった。
結果、人口が激減し社会は大きく変わる。
奴隷のように扱われてきた農民がいなくなり、荘園制度が崩壊する。
そして「これだけ次々に人が死ぬんだから、この世に神様なんていない」
こうして庶民の気づきでキリスト教も崩れていった。
流行が落ち着くと、やがて人間的なルネサンスが生まれていく。
ペストという感染症が結果的に社会を変えたのだ。
16世紀。
無敵艦隊スペインの大航海時代。
ジョニーデップの映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の世界だろう。
スペインの探検家で軍人のフランシスコ・ピサロは、インカ帝国を滅ぼしてことで有名。
彼は軍人と召使の母との間に生まれ、教育もされず文字も知らないまま育った男である。
その男がたったの180人の私兵部隊(ほぼ海賊)で数万のインカ軍を打ち倒すとは…
インカの軍勢を率いたのは皇帝アタワルパ。
当初、圧倒的な戦力差で勝利を収めた後のスペイン人の処遇を考えるほど余裕だった。
半分は神の生贄、残りは去勢して使役としてこき使う。
しかし180人の私兵は戦闘のプロで、武器もインカ軍とは比べ物にならない…と、
教科書では武器の差や、相手を出し抜く戦術などで相手をパニックに陥れ…となりますが、
実はその背景には、天然痘ウィルスが存在していたようです。
スペイン人は免疫を持っていますが、インカ帝国の人々は半分以上が命を落としました。
これをインカの人々は、信仰している神の差だと思い込み、以来キリスト教に改宗しました。
北九州市の小学校でクラスター感染…休校に。
このような状態が全国で起きなければいいが…心配ですね。
では、本日のブログ。
黒川前東京高検検事長が辞任。
新聞記者との賭けマージャン、しかもステイホーム週間の期間中。
三密を避けるためマージャン店が休業要請の最中に検事長がこの様である。
何を考えているのか、何も考えてないのか、そして辞任。
何ともお粗末だ。
政府が法解釈を変更してまで黒川氏の定年を延長したのに、
それが賭けマージャンで、何と訓告止まり…そりゃ刑事告発されるわな。
常習性とか掛け率のことをごちゃごちゃ言っているけれど、
立場を考えたら、そんなもの通るはずがないだろう。
お粗末君はもう一人。
前法務大臣の河井克行衆院議員だろう。
妻の案里参院議員当選のために、自ら地元議員らを訪ね回って
現金を配ったと報じられている。
前法務大臣が、この様か…意識の低さに驚くばかりである。
死刑執行の責任者が…モラル以前の問題だろう。