2006年のエッセイより 葬儀司会<合同葬>を終えて

あの頃は、大きな葬儀が多かったですね。
14年前ですか、10年は一昔ですからね。
懐かしいですな。
弊社の女性スタッフのエッセイに私が割り込みを付けてます。
ラストの落ちには笑いましたけど。
では。

 
ご覧頂けないのが残念ですが、優しい微笑が印象的な遺影写真でした。
そしてピンク系のライトが、会場全体を柔らかく包み込み、
温かみを感じることの出来る祭壇でした。
ガス機器メーカーの会長様の葬儀式だったので、
炎の温かみが演出されていたのでしょうか・・。
また葬儀と言えば、ご遺影の枠は黒枠が主流でしたが今は様々ですね。
仏式でも花祭壇が圧倒的に多くなりました。

 
本日の宗旨は、真言宗御室(おむろ)派??
(ありゃりゃ!)初めて聞きました。
諷誦文のあと弔辞・最後は至心廻向で終了と・・・
一般的な真言宗と弔辞や退場箇所は変わりありませんでした。(良かった)
ご導師様は故人の実兄、(お兄様がお父様の後を継がれ)
故人は、先代の住職であるご尊父様の元でお経を聞きながら育ったそうです。
やはり導師の気合の入れ方が違うような・・・
哀愁のあるいいお経でした。
熱烈なお経を筆頭にピリッと締まった厳粛な合同葬になったと思います。

5人のセレモニーレディーさんが入っていましたが、
立ち振る舞いが綺麗でびっくりします。
お辞儀の仕方・方向指示・歩き方と相当レッスンを受けているのでしょう。
全員が同じ角度で礼をし、動き始めるのですが、
いい意味で調和が取れ、機械が動いているようです。
無駄のない動き・品のある口頭でのご案内・スーっと姿勢もいい。
また進行状況においてのターゲットからは、絶対に目を離さない。
そして、マイク出し・遺族・親族の焼香終了、来賓の焼香終了等、
レディーさんと司会の連動する箇所になると目配せで合図をくれる。
焼香する参列者の整列のご案内(させ方)も抜群で、
統制のとれたお式が作られていくのです。
この会社のレディーさん達は、いつ見ても惚れ惚れします。(かっこいいんだぁ)

それから式場外演出の映像は当然よね
 
シンセサイザーの奏者さんもお会いするのは2度目で、
前回お願いした事を覚えていてくださり、
聴かせる<阪神タイガース 六甲おろし>を献奏してくれました。
(導師退場後献奏がありました)
ナレーションのBGMも私の好きな<巡り逢い>を弾いてくれました。
自分の知っている曲だとナレーションがやりやすいので助かります。

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2004年のエッセイから諸々 (井手)

 <1

真宗系のお葬式では「忌中紙・忌中札」の類は使用せず、代わりに「還浄(げんじょう)」と書かれた紙を使用する地域が多いのが目につきます。これに関する質問(セミナーなどで)も多くいただきましたので、改めて記しておきます。

 

 

「還浄」(げんじょうと読みます)について、真宗系のご葬儀では全国至る所で見かけますが、恐らくはお寺様の指導によるものではないでしょうか、「忌中紙・忌中札」の代わりに使われているようです。しかしこれは誤りです。様々な議論を経た後、2001年11月1日発行の本願寺新報(日付については記憶に誤りがあるかもしれません)で既に解決済みの問題です。よくお間違えの葬儀社の方がいらっしゃるようですので、ご注意されたほうがよろしいでしよう(忌中紙・忌中札を使えという意味ではございません)。

 

2

 この当時はあまり故人にフォーカスした商品がなく、個性が引き出せないでいた…と私は感じていました。司会のナレーション以外で、簡単に、安く、という思いで開発したのを懐かしく感じます。

 

では、追悼文に関してのエッセイです。

 

20041030

 

 

濃縮された遺族の想い(井手一男)

 

 

 

『ありがとうございました・・・』と深々と頭を下げられた。

 

その声は、心の底から絞り出された声だ。

 

喪主様が、男泣きの涙を拭おうともしない。

 

こちらの方こそ、喜んでいただけて本当にありがたい。

 

 

 

6時からの通夜に間に合うように、4時30分頃式場を訪ねた。

 

ご挨拶の後、早速FUNET追悼文をお渡しする。

 

食い入るように読んでおられた喪主様の目から涙が・・・。

 

そして押し殺した嗚咽が漏れる・・・

 

読み終えて、深く息を吐き出し、お礼の言葉を述べてくださった。

 

 

 

用意したFUNET追悼文が受付に置かれ、記帳された弔問客に配られる。

 

物珍しさもあるのだろうが、皆さんが読んでいる。

 

そして、開式前の式場がシーンと静まり返った。

 

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2005年、記憶に残ったエッセイ3作品 その3(井手)

 

3

 

【主任・・・凄すぎ!】(井手一男)

 

 

 

関東地区にあるその葬儀社は、

 

当時、現場を担当する施行部隊の10名ほどは、20代の若手ばかりで、

 

皆威勢が良くて気が短くて、明るくてスケベで、賭け事が大好きで

 

いろんな意味で、元気一杯の若者たちが揃っていたのだ。

 

 

 

私は人材派遣の葬儀スタッフ要員として、ほぼ毎日出社しているうちに、

 

やがてデスクを与えられ、司会や担当もやらせていただくようになった。

 

やがて(勉強熱心な)私のデスクは資料で一杯になり、社員の皆さんは

 

何かあると私のデスクから必要な書類をコピーして使っていた。

 

(さりげない自慢である、ワッハハ)

 

その頃の葬儀スタッフのデスクの中と言えば、

 

私物ばかりか、漫画やエロ本が詰まっていた時代であり、

 

宗教の資料なんか滅多にお目にかかれなかった。

 

そして私は、宗教関係の資料と引き換えに、

 

貴重なエロ本を見せてもらっていたのは、当然のことである。

 

(大変お世話になった葬儀社さんである・・・居心地も良かった)

 

 

 

20年前、はじめてこの葬儀社さんに伺った時は、

 

それはそれは驚いたものだった。

 

派遣される側の人材は、初出社の時は身が引き締まるものだ。

 

さて、ここはどんな会社で、どんな雰囲気で仕事をするのだろうか?

 

いささか緊張している私の前に現れたのが、このお話の主役、

 

その当時の主任の方だった。

 

 

 

あっ、この方はさっき駐車場で見かけた方だ・・・と思ったが、

 

確かド派手なアメ車のオープンカーにアロハシャツ(音楽ガンガン)、

 

サングラスに、半袖の両腕には立派な彫り物が・・・。

 

絵に描いたようなヤ××である。

 

足元を見れば、げっ、サンダル履きじゃん!

 

(ウソー、えっ、まじ、主任?)

 

『井手って、お前か?

 

『・・・はい(おー、こわっ)』

 

『ランク高いから何でもできるんだろう?』

 

『・・・(何でもって・・・殺しはちょっと)はー、まあ大体は』

 

『今日社葬だから、お前司会な』

 

『はい。(殺しじゃない、ホッとした)』

 

『年は?』

 

27です。』

 

『俺より一つ上ジャン!』

 

『・・・(下かよ、まじ?)』

 

『学年だとどうなんだ?』

 

『・・・(今さら学年で聞くなって)34年のイノシシ生まれですから』

 

『やっぱ上かよ』

 

『・・・すいません』

 

 

 

何となくこんな会話があった。

 

印象としては、ちょっと怖いけど憎めないヤ××という感じだ。

 

こうして私は、主任が担当する社葬の施行をすることになった。

 

当時の私は、社葬の司会をするといわれても、

 

それこそ「なんちゃって司会」で、少しばかり器用に人前で喋れただけのこと。

 

しかし自分の姿が見えないというのは恐ろしい。

 

中途半端な知識で、平気でマイクを握っていたのだ。

 

それに付け加えれば、とても断れる雰囲気じゃないのも確かだ。

 

 

 

現場について驚いた。

 

会葬礼状と返礼品が1.000セット分ダンボールで届けられている。

 

当時は、葬儀スタッフが手作業で礼状を折って、鼠枠封筒の中に入れ、

 

さらに一つひとつ返礼品が入った紙袋の中にセットし、

 

それをテーブルの上に上手に積み木のごとく積み上げていくのだった。

 

『じゃ、これセットしとけよ』

 

たったのその一言で、見事なほどの一言で、

 

私のマジックハンドは目にも止まらぬ速さで2時間ほどフル回転した。

 

(人材の私は、どこへ行っても一番下っ端なのです)

 

その間、他のスタッフの姿が見当たらない。

 

何で?

 

どうして?

 

少しぐらい手伝えよ!

 

 

 

『おう、お疲れ!』

 

缶コーヒーを片手に再登場したヤ××主任は、

 

一本を私に投げて寄越し、(私が受け取ると)

 

『ストライク!』

 

『(えっ、キャラ変わってない?)・・・いただきます』

 

(嫌な予感)

 

さすがにスーツに着替えているから刺青も拝めないし、

 

こうして見ると、ただのアンちゃんに見えなくもない。

 

『今日の社葬二人でやっからよ、頼むぞ!』

 

『??二人だけで、ですか!』

 

『おう、うち歩合制だからよ、頭数揃えたくねえのよ、俺独り占め』

 

『はあ?』

 

『俺、頭いい? 切れる?』

 

『・・・(俺がキレるわ)』

 

(なるほど、そういうわけか)

 

どうやら基本給に、売り上げの一定歩合が付くらしいのだが、

 

施行人数で頭割りするらしいのだ。

 

ただし、これには人材はカウントされないのがミソであるらしい。

 

 

 

私の業務は、寺院との進行打ち合わせ、

 

受付や返礼品のスタッフ(会社の実行委員)への説明案内、

 

葬儀委員長、遺族、来賓、弔辞者などへの説明、

 

司会(ナレ・弔電・進行)、焼香回りの実務、香炭やローソク、

 

マイクの出し入れ、弔辞の受け渡しetc・・・。

 

一言でいうと、式場内のすべてだ。

 

(言われなくてもわかってるって)

 

で主任はと見れば、遊んでいるわけではなく式場外の雑務をこなしている。

 

こちらもかなり忙しそうで目が据わっていた。

 

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2005年、記憶に残ったエッセイ3作品 その2(井手)

 

2

 

【僧侶に感謝!】(井手一男)

 

 

 

何故お坊さんはあんなに威張っているのだろう?

 

そして葬儀屋さんは、何であんなにお坊さんにペコペコするのだろう?

 

ほとんどの遺族の方も、お坊さんに対しては似たようなものだった。

 

20年位前、葬祭の人材派遣に入ってから一番不思議に思ったことだ。

 

 

 

法話もそんなに面白くもないし、袈裟はそりゃ立派で高価な感じはする。

 

それなりの歴史というか、伝統も感じられるが、

 

私から見れば、ハッキリ言ってただのオヤジだし、

 

『そない米搗きバッタみたいにせんでも・・・』

 

と、ことあるごとに担当の先輩社員をからかっていた。

 

 

 

暫くして、私は何故かとんとん拍子に出世し、

 

(つまり人材のランクが上がり、ついでに給料も上がり)

 

司会や担当を任されるようになると、

 

件の社員と同じ事をしている自分がいた。

 

悲しかったと同時に自分に腹が立っていた。

 

正直、「金のため金のため」と心で呟きながら、

 

米搗きバッタの自分がそこにいたからだ。

 

 

 

当時の私から見れば、僧侶の態度が余りに尊大で、

 

何か葬儀社を見下しているようで、いつも嫌な思いをしていた。

 

そのうちギャフンと言わせたいと思っていたのは確かだ。

 

 

 

そんな時、ある葬儀で遺族の親戚筋にヤ××さんがいた。

 

担当の私に、何か揉め事が起こりそうな、確かに閃くものはあった。

 

そう予感みたいなものが・・・しかしまさかあそこまで、

 

自分の想像通りにはまることは滅多にない。

 

 

 

通夜開式前の打ち合わせで、やはり揉めた。

 

読経中は焼香をしてはいけないとか、

 

遺族親族は、常に正面を向いていて、弔問客に答礼しては駄目だとか。

 

挙句の果てに、翌日の弔電拝読も省略しろだの、

 

次の日は僧侶用にハイヤーを手配しろだの、

 

まあ、その内容には一理あるのだが、言い方と態度が横柄なのだ。

 

常に命令調で、私でさえ遺族がかわいそうになった。

 

ただでさえ悲しんでいる遺族に対して、

 

あの態度はないだろうと思っていた。

 

そんな僧侶の態度の不遜さに、それでも遺族は我慢していたが、

 

××さんには耐えられなかったようだ。

 

あっという間に堪忍袋の緒が切れて、

 

『てめえ態度がでけえんだよ!おらっ坊主、埋めるぞこらっ!』

 

(逞しい-、埋めて埋めて今すぐ・・・心の声です)

 

『表出ろっ!こら、くそ坊主』

 

(くそ坊主だって、素晴らしい響き・・・心の声です)

 

一発、軽く頭を殴られた僧侶は途端にオロオロし、

 

担当の私は、一応形ばかりの態度で、

 

『暴力はお止めください、落ち着きましょう』

 

などと言いながらも、自分の立ち位置を考慮し、

 

××さんの邪魔にならないように配慮していた。

 

 

 

逃げる坊主に追うや××。(七五調)

 

映画のワンシーンのようだ。

 

『カット』・・・止まるわけないか。

 

(井手の回想シーン・・・つまり井手の頭の中です)

 

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2005年、記憶に残ったエッセイ3作品 その1(井手)

 

2005年のエッセイから記憶に残ったものを、

 

今日から3日連続で3作品を振り返ろうと思います。

 

 

 

最初は私のエッセイではないのですが、女性スタッフが書いたものです。

 

私も父を早くに亡くしていますが、彼女も高校生の時だったようです。

 

1年は365日の繰り返しですが、日付に関して不思議な縁が感じられた作品でした。

 

では、第1話。

 

 

 

【2月2日は、私にとって激動の日であります】

 

 

今から24年前の今日、父が亡くなりました。

 

癌の宣告を受け、たったの半年・・・

 

すべてを受け入れ、弱音ひとつ吐かず、

 

厳格な父らしい最期でした。

 

 

死の宣告を受けてからの半年間は、本当に辛かった。

 

死の瞬間、

 

「父は、これで苦しみから解放されるんだ・・・そして家族も」

 

悲しみや寂しさよりも、ホッとした気持ちの方が強かったかもしれない。

 

そんな感情を最後に・・・私の心は、暫く封鎖された。

 

 

慌ただしく通夜・葬儀の準備が進む中、

 

高校の制服姿で、ひたすら漫画に没頭する私の姿は、

 

世間にはどう映っただろうか?

 

(漫画じゃなくて小説だったら、もう少しまともに見えたかな。)

 

今でこそ、そんな事を考えてはみるものの・・・

 

漫画は、人から話しかけられるのを拒むことができ好都合だった。

 

そして、現実から逃避することもでき、

 

悲しみから自分を防御することも出来た。

 

高校生にもなって、なんて弱い、なんて非常識な態度を・・・と思うが、

 

私の精一杯の身の振り方だったような気がしている。

 

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2006年 葬儀司会を終えて (井手)

 

NHKの朝ドラのように、そのまま再放送とも思いましたがそれは無理。

 

2006年の頃は、私も講師業一本ではなく司会の現場に入っていました。

 

偶には田園調布のS葬儀社様(現在公益社)で担当させてもらっていましたが

 

因みに、中央仏教学院の僧侶養成コース卒業後に現場に伺うようになると、

 

僧侶の我儘と思える行動がやたらと目につきだしました。

 

 

 

 

 

参ったぜ。

 

無茶苦茶疲れました。

 

慣れない地方の葬儀は面白いけど、色々とありますなあ。

 

 

 

連絡を受けたのが27日の11時頃。

 

「明日(28日)と明後日(29日)・・・誰か司会者いませんか?

 

「えっ、何? どういうこと?

 

「オープン前なんですけど、もう仕事請けます。」

 

「・・・」

 

2月中旬のオープンのはずが・・・やっちゃうの? 大丈夫?

 

最後の研修で、全体の動きを確認する予定が、それも終わってないし、

 

一体スタッフは動けるのだろうか、そもそも物は揃っているのか。

 

 

 

・・・自分が行くしかないだろう(と神の声)。

 

・・・お前は関係ないじゃん、ただの講師だし(と悪魔の囁き)

 

右ハイキック一閃、神の声のKO勝利。

 

俺は責任感の塊だ・・・ということで、全てのスケジュールをお断りして、

 

とにかく新潟へ向かったぜ。ただし、新幹線の車中では

 

S山(担当者の氏名です)大丈夫だろうな」と100回位ブツブツ言ってたけど。

 

 

 

自分がしてあげられることは何か。

 

司会とFUNET・・・

 

司会だって新潟バージョンはよく分からないんだけどね。

 

パネルとDVDだけは制作出来るように急遽準備をしました。

 

 

 

近所のMUSASHI(看板のIが落ちてるけど)というホームセンターで、

 

あり合わせの物を買ってきて即席で作ったメモリアルコーナー。

 

Iが落ちてるだけに、愛のないお店でした・・・ごめん)

 

 

 

FUNETのイメージボードとフォトボードで構成してます。

 

因みに観葉植物は、事務所にあったものを流用しました。

 

ランプもバックの格子状の物も全てその場調達です。

 

次は、色々と揃えといてください。(頼むぜ)

 

 

 

入り口のエントランスには、DVD映像を流し、

 

その場で作成したメッセージボードと合わせてエントランスに飾りました。

 

 

 

弔問の皆さんは、映像を見たり、思い出の写真を眺めたり、

 

メッセージボードで時代を懐かしんだり・・・と、

 

故人を偲んでいただきながら、全体の空気感を演出しています。

 

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猫とギター(miori)

おはようございます。

何年か前に父が持っていたギターを1つもらったのですが、ネイルをずっとしていたので弾けず、最近のステイホームでネイルサロンにも行けなかったので遂に自分でバッサリと爪を切ったので、やっとギターを触れるようになり、この際だからとギターを始めてみました。

先ずは古くなったギターの弦を変えるとこからなのですが、なにぶん初心者なもんで、弦の張替えすら全く分からない状態…
しかし今は便利な時代で、YouTubeを見れば弦の張替え動画なんてものがあるのでそれを参考にしつつ張り替える事に。

動画の手順通りに弦を外したら…
ある事に気づいた。

我が家には猫が4匹も居ることを。
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名古屋の通夜 (井手)

 

名古屋の通夜は、名古屋人がよく食す「助六」を持たせることが一般的らしい。

 

愛知県下では、関東と同様に通夜振る舞いをする地域もあるようだが、

 

以前から名古屋だけは通夜振る舞いをする習慣がなかったようだ。

 

 

 

名古屋で回転寿司に行けば、小皿に乗ったお稲荷さんが回ってくる。

 

私は少し驚いた。東京ではあまり目にしない光景だが、名古屋では普通だ。

 

確かに甘党の私はお稲荷さんが好きだが、それでも回転寿司では手は出さない。

 

 

 

コンビニやスーパーのお弁当売り場に行けば見かけることが多い「助六寿司」は、

 

「いなり寿司+巻き寿司」このセットで販売されている。

 

今日は名古屋の通夜で定番の「助六寿司」の「助六」について。

 

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