私は仏教美術には疎い。センスがないのだろう。
お釈迦様(仏陀)が入滅した後、直ぐに仏像が出来たものだと勝手に思っていた。
…思い込みはいけないなあ。
だって、2500年前の識字率からしても、と勝手に推測し、言葉で表現が難しいならと、
石像などで仏像を創作したものだとばかり思っていた。
全く違っていた。
初期の仏教美術では、仏陀を人間のように表すことはなく、
聖樹・法輪・仏足跡などで象徴的に表現していたらしいのだ。
そもそも初期の阿含経典に「如来の身は造作すべからず」(巻21)、あるいは、
「如来の身は、身壊し命終したる後は、人天これを見ざるべし」(長阿含経・巻14)
などと説かれているらしいから、仏陀入滅後は、その姿を表すことも見ることも
できない、と残された僧侶たちの考えが働いたのではないか。
では仏陀を何故、聖樹で表したか?
それは、チャイティヤ信仰という民間信仰と仏教が融合したからだという。
そのチャイティヤ信仰には、カミが宿る依代として聖樹が信仰されていたとか。
不可視の仏陀は精霊的なカミと同一視されたのだ。
「聖樹」とは、言うなればクリスマスツリーのようなものか。
神が宿る木だから、日本だったら正月の門松もそうなるだろう。
そういえば仏陀の4大聖地は全て「聖樹」の下で起こっている。
ルンビニーの花園(生誕地)
ブッダガヤの菩提樹(悟りを開く)
サールナート(初転法輪)
クシナガラ(沙羅双樹の下で入滅)
ここで1問だけクイズ。
お釈迦様が、お経を書かなかった理由が分かる方は?
(お経は釈迦入滅後、弟子たちが書き残したものです)
答えは、一番下に。
いつ、どこで、最初に仏陀像が作られたのか。
100年以上に亘る論争らしいが、当方全く知らなかったし、
恥ずかしながら興味もなかった。
現在知られている最もそれらしいのは、アフガニスタンから発掘されたインド系の金貨。
表には「恐れを知らね獅子が」裏には「法輪を転じる」とガンダーラ語で刻まれている。
私も見させてもらったが、仏陀というより、獅子の形である、しかも「法輪を転じる」
の裏面は、力強く車輪を回している風な画面…なるほど、法輪を転じるだ。
1世紀初頭の頃だというから、滅後500年程度か。
本来、仏陀のイメージは力強く獅子のよう、
しかし、やがて調和のとれた人体プロポーションへと少しずつ変化したのだ。
釈迦の実像に少しでも近づいてみたいと思っても…奥が深いわ。
クイズの答え。
お釈迦様がお経を書かれなかった訳は、
その頃は、まだ文字がありませんでした。