1年前、ウィルライフさんがやってらっしゃる「これからの楽交」に参加させてもらい、
「手元供養」のお話を聞かせていただいた。
講演して下さったのは山崎譲二様。
京都で博國屋という仏壇店を営むご主人である。
そして「手元供養」という言葉を生み出したのも彼である。
著書手元供養のすすめも読んでいたので興味深く拝聴した、という思い出がある。

また、シンボルツリータイプの樹木葬のビデオを見せていただいた。
確か臨済宗の、妙心寺と建仁寺という本山も既にやっていた。
価格もかなりのお手頃感がある。
そして何より、人種・国籍を問わない、更には宗派にもこだわらない、という驚きのお話であった。
先日、京都で司会研修会が開催された折、思いつきでお店を訪ねてみた。
機会があれば、お話がしてみたかったのと、
手元供養の品に触って感触を確かめてみたかったのである。
想像していたより遥かに思い…大きくはないがズシリと来る感じだ。
清水焼に拘るということは、やはり地元の方がメインになるのか。
東京でもキラキラしたガラス製などで見たことがある。
先日の終活フェアでも、骨壺の美しい琉球ガラスが展示されていたが、
骨灰にする金額も含めて6~7万だったと思う。このタイプが増えているのは間違いない。
またほんの少しだけ遺骨を入れて持ち歩くことができるタイプは、竹製だが頑丈に出来ていた。
どうしても竹に拘った、それも京都ならではだろう。
その後、寺町通りにある博國屋の屋上でコーヒーをいただきながら、お話を伺う機会に恵まれた。
眼前に拡がるのは比叡山、送り火の五山…という素晴らしい眺望だ。
色々と含蓄のあるお話が聴けて大変勉強になりました。
「余談」
そういえば「終活フェア」で宇宙葬を見学した際、少し話を伺った。
「あのー、ここに入ったお骨が、宇宙に行くんですよね」
「はい、そうです。あの(上を指さし)宇宙へ行きます」
「それは、厳密には何処まで?」
「えっ、厳密には??」
「気球が割れずに行けても、成層圏まででしょう」
「そうですかね」
「いや、そうでしょう」
※地表の上には1万メートル位まで「対流圏」と呼ばれる空気の層があり、
それを超えると「成層圏」と呼ばれる、雲も雨もない、いつも晴れている層が50Kmあります。
「ということは、そこで地球をグルグル回るのかな」
「はー(返事もしなくなった)」
「骨が、地球をグルグルか」
「―――(無視かいッ!)」
「自由落下だね」
「―――」
「いずれ落ちてくるのだけれど、燃えちゃってなくなる」
とまあ、こんな感じです。
夢のない話で申し訳ないが、私は宇宙に行きたいとは思わない。