固体・液体・気体 (井手)

仏教の教えの特質に、本質しか見ない…ということがある。

例えば、雨が降っていたら、

家の屋根に落ちるのが「雨粒」、

屋根を伝って軒から落ちるのが「雨水」、

その雨水が地面に落ちて跳ね返るのが「飛沫」、というように

それぞれの状態で表現の言葉は違うが、仏教の考え方の基本は「水」である。


また、お葬式会場の入り口には矢来提灯が立ち、ご霊灯とか○○家とか書かれている。

その左右の下には、(偽物の)滝を循環する水の置物が飾ってあったりする。

その水も、ここを入って水引を潜れば、生きて帰ってくる保証はどこにもない、

ということを暗示しているのだ。

水は常に、例え目に見えなくとも、気体や液体や固体を循環しているのだから。

命も、いつ、今の状態から次の状態へ移りゆくとも知れないのだから。

 

世の中にあるもので、永遠の物はどこにも存在しない。

ただ、本質があるだけ…そんな感じでしょうか。

 

しかし現代、「液晶」という言葉を知らない人はいない。

では「液晶」とは何ぞや?

これは意外と知らないのだ。

それは、気体や液体や固体という3つの分類ではなく、何と4つ目の状態。

つまり、固体と液体の中間にある状態…ドロドロの、はっきりしない現代の様な状態。

そう…個体でもなく、液体でもない状態です。

この状態における特性を使って、「液晶パネル」が大活躍しているのです。

私なんか液晶パネルが無かったら暮らせません。

 

仏教の教えが、本質しか見ない…と云いましたが、

ドロドロのどっちつかずの所には、人類を助けてくれるような発見に出会うかも…

と、予言してくれていたら本当に良かったのになあ。

あーあ、残念!