小さなお葬式 (井手)

 

葬儀の小規模化は止まる所を知らない。

 

“小さなお葬式”や“花の家族葬”のような小さなモノばかりだ。

 

何だか、葬儀が少し詰まらなくなってきた。

 

 

 

1990年代に、80歳以上で亡くなる人は38.7%だった。

 

2000年には、80歳以上で亡くなる人は43.8%…かなり増えてきた。

 

そして2013年、80歳以上で亡くなる人は59.4%…ほぼ6割に近い。

 

亡くなる人の大多数が、かなりの年寄りと云わざるを得ない。

 

そう考えると、参列する故人の“お友達”も…そりゃ少なくなってきている。

 

病院や施設に入っているので参列できないという人がいて当たり前。

 

普通に考えたって、葬儀は小規模になるのが自然の流れなのだ。

 

 

更に、普通のお年寄りは、盛大なお葬式なんか望んでいなくて、

 

それよりも自分のお葬式で、子供や身内に迷惑が掛かるのを気にしている。

 

葬儀社が思っているほど、“自分の葬儀はこのようにしたい”と考えている人は少ない。

 

オリジナリティ溢れる飾りや演出の方が珍しいのだ。

 

それどころか、地域との連携が希薄になり、僧侶に対する信頼感は薄れ、

 

法名・戒名神話も崩れ去り、火葬だけの「直葬」が益々増え続け、

 

宇宙(地球の大気圏の外)に行くわけでもないのに宇宙葬…

 

なるものに憧れてみたり…新商品だけは多種多様。

 

 

 

この2030年間で葬儀はガラッと変わってしまった。

 

多死社会の到来で、異業種が参入し…しかし、

 

よーく考えてみたら異業種からの参入だらけなのが現代の葬儀業界のような気もするが…

 

圧倒的な顧客獲得競争に晒され、以前からあった葬儀社は全く分が悪い。

 

これは他の業界でも同じ事であろう。

 

そもそも土俵が違うもの。

 

 

 死を眼前にして、遺体を扱ったことがない人達が葬儀社を動かす。

 

何かがおかしい。

 

今の終活ブームを牽引しているのは、異業種のビジネスなんだ。

 

 

 

死は、どこまで行っても…ある意味“賑やか”で、死は人を動かす。

 

穏やかに、死なせてあげたいけど、そうもいかないだろう。