釈迦は葬式禁止を言い渡した(井手)

 

毎年、その年の世相を表す漢字として年末に一文字を揮毫するのは、

 

京都府京都市東山区清水寺の森貫首である。

 

この漢字は財団法人日本漢字能力検定協会が、その年をイメージする漢字一字を公募し

 

その中で最も応募数の多かった漢字をその年の世相を表す漢字として発表する。

 

毎年1212日が、この「漢字の日」だ。

 

 

 

清水寺は、元来は法相宗に属したが独立して北法相宗の大本山を名乗っている。

 

法相宗とは南都六宗の一つであり、平安京遷都以前からの歴史を持つかなり古い寺院だ。

 

まだ仏教が、現在のような仏教ではなかった頃から存在する寺と云えば分かるだろうか。

 

 

 

南都六宗は、三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗であり、

 

清水寺や東大寺や唐招提寺など有名寺院が多い。

 

特徴は鎮護国家という理念の下で行われた、国に保護された仏教ということにある。

 

私の勘違いで無ければ、だから「お葬式には手を出さない」のである。

 

鎮護国家だから民衆の方を向いていなかった宗教、と云えば悲しい。

 

しかし元来の仏教は、葬式には手を出さないのである…驚かれるかもしれないが。

 

 

 

釈迦の一生は阿含経典群に書かれている。

 

それが釈迦の伝記の元にもなっている。

 

しかし都合により、大乗仏教の様々な本の中では採用されていないこともあるようだ。

 

その代表が、釈迦が云ったという【葬式禁止】の記述である。

 

 

 釈迦は生前、自分の教えは生者の為のものであり、決して死者に関わってはいけない。

 

そのように厳しく言い残していたらしい。

 

死んだ人は輪廻転生するが、それは生前の行いによってのみ決定するのであって、

 

死後は、何をしても手遅れだと考えていたようである。

 

つまり釈迦が云う仏教とは【生きている者たちの教えである】ということなのだ。

 

(もうこの点が、日本の仏教とは大きく異なる)

 

 

 

仏教は【生きている者たちの教えである】。

 

この事だけを取って見れば、葬式にお寺が絡むのは如何なものか。

 

葬儀・仏事の中で、とかく「お釈迦様はこのように申しておりました」

 

等と説法をするわりには、釈迦が強く云い残したという阿含経の中の記述

 

…葬式に手を出してはならない…を、結果として今でも守っているのは、

 

南都六宗系の寺院だけだというのが実態である。

 

 

 

だがこれは、仏教のある一面的な捉え方とも云えるだろう。

 

それほど、日本の仏教は複雑なのだ。

 

 

 

2500年という仏教の長い歴史が背景にあり、その間に仏教も分裂する(初期の頃)。

 

そのうち時間を作ってレポートしたいと思うが、簡単に云えば、

 

上座部仏教と大乗仏教とに大きく分かれ、また日本では最澄が仏教に革命を起こし、

 

でもインドへ行く術もなく、代わりに中国で約1年だけの修行…その最澄の所で

 

学んだ所謂鎌倉仏教の揺籃が江戸の時代に徳川の政策と固く結び付き大きく花開く。

 

…こんな感じかな(行間に云いたい事山ほどあるけど)。

 

 

 

法話の中でよく聞く話が、子供を亡くした母親が登場して

 

お釈迦様に“この子を生き返らせて”とお願いするシーンだ。

 

確か釈迦は、この近所で葬式を出したことのないお宅が有れば…と答える。

 

母親は子を生き返らせたくて懸命に探すが…結局どこのお宅も葬式を出していた…

 

そこで母親はやっと気づくのだ、人は皆、死ぬ運命にあるということを。

 

このような法話は多い(恐らく中国で創作された話)。

 

しかし、正面きって仏教の分裂の歴史を分かりやすくお話したり、

 

かつては北伝仏教・南伝仏教といったり大乗仏教・小乗仏教といったり、

 

そして大乗と上座部になった理由も含めて、

 

皆さんに面白おかしく為になるお話をして下さる僧侶は非常に少ないのが現状だ。

 

残念である。

 

 

 

でも葬式禁止を言い渡す釈迦の言葉は、法話では滅多に聴けないなあ。

 

では。