歴史があるからなのか、はたまた影響を受けやすいのか。
普段使う日本語には、ほとほと疲れる。
特に敬語と云われる類の物は、その変遷を知れば知るほど憂鬱な気分になる。
現代ではあまり知られていないが、出典がそもそも問題ありなのだ。
丁寧語の「~です」「~ます」は、200年前は芸者さんの言葉。
同じことを武士が云ったら「~でござる」になる。
一般庶民は「~だ」に変わるし、
町人はもっと長たらしく「~でございます」となる。
要するに、現在の標準語である丁寧語の基本「~です」「~ます」が、
水商売の女性の言葉であったとは…
もしタイムマシーンで200年前にスリップすれば、
「男のくせに女言葉使いやがって、手前は一体どこの出身だ?」って怒鳴られるな。

一説だけど、これが標準語として拡散した理由――
150年前の明治の時代、地方出身者が東京にどっとやって来て、何とそこで…
遊郭の言葉を覚え、これを東京の標準語だと勘違いする人が続出したからだというのだ。
ならば、今から100年後…舞台は秋葉原。
地方出身者が大量に訪れたメイド喫茶。
その名も「愛と誠」(何じゃそりゃ、昭和か!)
そこの代表的な言葉である「ご主人様」「萌え」を広める??ことになるかも知れない。
ならないかもしれない…
言葉って歴史の中でこうやって根を張るんだ、学校では教わらないけどね。
因みに、デヴィ婦人や(野村)サッチーらが田園調布のセレブ族のように使う
「ざーます」言葉は、元来花魁(おいらん)の言葉でした。
…他意はございません。
一般に、花魁の見受け先は金持ちのお宅だろうから、この言葉は今でも通用するんだね。
では