訃報 (井手)

 

45年前まで、年賀状のやり取りがあった方がお亡くなりになった。

 

私に訃報の報せがあったわけではなく、弊社に司会を依頼されて偶然知った。

 

聞けば、数年前から少しずつ認知症の症状が出ていたらしい。

 

考えてみれば、それは年賀状のやり取りが途絶えた時期と合致する。

 

「ご病気だったなんて知らなかった…」

 

お悔やみとお別れに伺った。

 

こういう時、今流行の家族葬でないことがありがたい。

 

喪主様にお悔やみを申し上げて、件の事を知ったのである。

 

 

 

祭壇の写真は、馴染み深い先生の姿だった。

 

何年前になるだろうか、「火葬場の風景」(葬儀)というタイトルで

 

連載を持ってらっしゃった頃に酒の席で

 

「井手さん、エモーショナルに書くって難しいね」

 

と云われたことがある。

 

自分は学者だから、どうしても文献のようになってしまう…と。

 

どのように答えたかも覚えていない。

 

しかし、何故か、その時の光景がフッと湧いてきた。

 

今の今まで、記憶の扉は開いていなかったのだ。

 

先生の顔を拝見したことがキッカケだろう。

 

 

 

あれから1ヶ月ほど経ったが…

 

これが葬儀の良さの一つなんだと実感している。

 

 

 

人と人は、人生のどこかで交差し、縁があって交流の時期がある。

 

例えば、義理に近い形で葬儀に参列したとしても、

 

突然、記憶のメカニズムは働き始め、ふと思い出す故人の面影…

 

懐かしい、愛しい、寂しい…押し寄せてくる感情。

 

 

 

脳の中で記憶を手繰りながら冥福を祈ることは、誰にでもあること。

 

こうして故人を想い、偲んでいくものだと思う。

 

 

 

ご冥福を祈ります。

 

合掌

 

 

 

【おまけ】

 

弊社の司会は、どうだったかって?

 

手前味噌・自画自賛・厚顔無恥・海千山千・天狗俳諧…

 

徐々に意味が変わって来ているが…

 

 

 

文句なし!