4~5年前まで、年賀状のやり取りがあった方がお亡くなりになった。
私に訃報の報せがあったわけではなく、弊社に司会を依頼されて偶然知った。
聞けば、数年前から少しずつ認知症の症状が出ていたらしい。
考えてみれば、それは年賀状のやり取りが途絶えた時期と合致する。
「ご病気だったなんて知らなかった…」
お悔やみとお別れに伺った。
こういう時、今流行の家族葬でないことがありがたい。
喪主様にお悔やみを申し上げて、件の事を知ったのである。

祭壇の写真は、馴染み深い先生の姿だった。
何年前になるだろうか、「火葬場の風景」(葬儀)というタイトルで
連載を持ってらっしゃった頃に酒の席で
「井手さん、エモーショナルに書くって難しいね」
と云われたことがある。
自分は学者だから、どうしても文献のようになってしまう…と。
どのように答えたかも覚えていない。
しかし、何故か、その時の光景がフッと湧いてきた。
今の今まで、記憶の扉は開いていなかったのだ。
先生の顔を拝見したことがキッカケだろう。
あれから1ヶ月ほど経ったが…
これが葬儀の良さの一つなんだと実感している。
人と人は、人生のどこかで交差し、縁があって交流の時期がある。
例えば、義理に近い形で葬儀に参列したとしても、
突然、記憶のメカニズムは働き始め、ふと思い出す故人の面影…
懐かしい、愛しい、寂しい…押し寄せてくる感情。
脳の中で記憶を手繰りながら冥福を祈ることは、誰にでもあること。
こうして故人を想い、偲んでいくものだと思う。
ご冥福を祈ります。
合掌

【おまけ】
弊社の司会は、どうだったかって?
手前味噌・自画自賛・厚顔無恥・海千山千・天狗俳諧…
徐々に意味が変わって来ているが…
文句なし!