昔、都内で大変世話になった葬儀社がいくつかある。
私が川崎にあった人材派遣会社に在籍していた頃から頻繁に指名していだき、
現場の仕事がない時でも何故か呼ばれるようになった。
それは派遣会社を辞めた後も続き、まるで半社員のようだった。
私が人材派遣会社を辞めたのは、3か月に亘る連続ドラマの主演の後、
戻りたくても、当時はとても現場に入れる状況ではなかったからだ。
しかし、そんなときでも平気で雇っていただいた。
それは都内南部(大田区・品川区)エリアだから可能だったのかもしれない。
夜中でも呼ばれて受注見積もりに伺うと
「あれっ!」となることも多く、時にはサインを頼まれることもあった。
可笑しなものだ。
昨夜サインをして、今日は一緒に納棺をする。
こんなことが、何度もあった。(面白すぎる)
しかし、その頃の私は、将来に対する不安が大きく、
俳優をやめた後、何をして生きていくか明確に定まっていなかった。
そんな2年が経過した頃、綜合ユニコム様の社員U氏がこの葬儀社を訪ねてこられた。
紆余曲折の末、社長の「井手さん、書いてみたら」の一言。
綜合ユニコム様のU氏もそれなら読んでみたいと。
その場で藁半紙に原稿を書いた。(紙がなかったのだ)
確か1~2時間で3回分程度の連載原稿を書いたら喜んでいただいた。
それが綜合ユニコム様で5年に及ぶ連載がスタートする縁ともなった葬儀社だ。
今その葬儀社は、公益社と提携する形の(珍しい)葬儀社になっている。
余談だが、提携が合意して会館の建設が始まり、弊社もそのビル内に看板を掲げる
予定で動いていたのだが、オープン寸前に公益社サイドからストップが掛かり唖然。
突然のことで困った挙句、都内を引き上げ、現在の埼玉に転居したのだ。
今となっては、適度な田舎である埼玉は住みやすい。
運命とはこんなもので、何が功を奏するか、全く予測が付かない。

そしてこの度、この葬儀社のご子息が結婚した。
中学を卒業する頃から20代半ばまで記憶があるが、現在は全く知らない
10数年振りのことであった。
どうしているのだろう、と楽しみにしながら出席の返事をした。
――結婚式――
人は誰でも太るものだ、と確信した。
また、子供は親に似るものだ、とも再認識した。

披露宴の冒頭、新郎の挨拶(概略…記憶だけ)
「10日ほど前に始まった熊本を中心とした地震の被害。
この被災者の中には、我々と同じように本日結婚式を挙げる予定でいた方もいらっしゃるでしょう。そんな時に、我々だけこんな楽しい想いをして如何なものか、とも思いました。被災した人たちに、我々は何ができるかと考えております。先ほどの誓いの言葉にもございましたように、健やかなる時も、病める時も…は、夫婦の間だけではないのでしょう。しかし、自然災害は、いつ起こるか、またどこで起こるか、全く予測が尽きません。式の中止も頭を過りましたが、前々から予定して足を運んで下さる皆様に迷惑を掛けるわけにはいかない、という思いもあり予定通り挙行しようと決めました。今、楽しむべき時は堂々と楽しむ…どうぞ皆様、これからの数時間は…云々」
あの子供が、社長の子供が…思考回路は親には似ない、とホッとしました。
放っといても子は育つのだ。
立派になったなあ。
おめでとう、お二人に幸あれ!