忘れられない挨拶 (井手)

 

「スピーチとスカートは短い方がよろしい」と云われるのは、結婚式。

 

では葬儀では、

 

「坊主の説教と出棺前のお経は短い方がよろしい」

 

と云われる(葬儀社の感覚?)、かどうかは分かりませんが、

 

私には今でも忘れられない「出棺前の挨拶」があります。

 

 

 

因みに「短い方がよろしい」シリーズには、

 

こんなものも(以下)

 

「学校の朝礼と部活は短い方がよろしい」

 

「渋滞と行列は、短い方がよろしい」

 

「残業時間と花粉の季節は短い方がよろしい」

 

シビアですが、

 

「小言と余生は短い方がよろしい」

 

「入院とローンは短い方がよろしい」

 

 

さて、挨拶の話に戻ります。

 

20年位前のことですが、場所は港区元麻布のZ福寺様でのお葬式でしたから、

 

それなりに大きなお葬式でした。

 

喪主は故人の長男で、2年前まで1部上場の商社にお勤めのエリートでした。

 

ただ、打ち合わせから「暖簾に腕押し」というか「糠に釘」「馬の耳に念仏」…

 

喪主様は何とも手ごたえが無く、それでも通夜は弔問客が大勢でごった返し、

 

まあ何とか無事に済んだのですが、葬儀の日は出棺前の遺族代表の挨拶が…

 

まさか、一言も喋らない喪主が…いやいや親戚代表がいるでしょうよ、と、

 

でも、喪主に代わる方は誰なんだろう、と少々不安を抱えていました。

 

 

 

東京での通夜・葬儀の流れは、地方のように通夜で挨拶をするケースも

 

有りますが、東京では主流ではありません。(葬儀の日に1回だけです)

 

また、遥か以前にずーっと遡れば、葬儀社が遺族代表の挨拶を代行したことも

 

ある事はありますが、何せ今回は元商社マンの長男がいるのに…悩ましい。

 

 

 

葬儀の日、

 

「あのう、出棺の挨拶は喪主様となっておりますけれども…」と確認すると、

 

「…うん」と不安げに一言。

 

いやいや、えーっ、いやいや、こっちが不安でしょう。

 

 

 

前に一度、88歳のお爺ちゃんがご挨拶をすると云われた時、

 

紹介をしてマイクを渡すと、まさかの一言。

 

「どうも、ありがとう」

 

え、これで終わり、天皇陛下ですかっ!

 

と、突っ込みを入れたくなったことがあって、不安は募るばかり…

 

 

いよいよお別れの時間も終わり、旅の支度を整えられた故人が、

 

僧侶を先導に霊柩車に納められ、遺影写真、位牌と手にして遺族が整列。

 

反対側には、大勢の参列者が霊柩車を中心に取り囲んでいました。

 

ご出棺の前に、○家遺族を代表されまして喪主○○様よりご挨拶がございます。

 

 

 

「…母が2年前に他界し、後を追うようにオヤジも具合が悪くなって、家業を継ぐため…私も会社を止めました。会社を辞めて2年が経ちましたが、その頃の仲間が昨日から二日間、顔を出してくれたのには感謝しております。実は…会社でも、私は役立たずで、所謂変人ございまして、オマケに人見知りで、この年になっても彼女が出来た試しもございません。そんな私のことを一番心配してくれていたのは、両親でした。ですから両親が、家業の酒屋をコンビニにすると言い出した時は反対しました。365日休みも無く24時間営業のコンビニは、年寄りにはキツイ筈です。しかしそれは、私の将来を案じて、その受け皿として考えてくれたことは薄々分かっていました。後に残される私のことを考えての決断だったことは想像に難くないのです。それでも私は、母や父に…感謝の言葉も、一言もお礼が云えませんでした。

 

一番大事な時にお礼も言えない…親に甘えてばかりだった自分を、この二日間反省しておりました。父が息を引き取った時、突然雨が降り出しましたが、あれはオヤジが泣いていたんだと思います…云々…(あくまで私の記憶です)

 

 

 

ご長男の挨拶は、その言葉の一粒々が重く、魂から絞り出されるようでした。予想に反し完全にゾーンに突入しています。

 

出棺前の空間が支配されていました。

 

彼が喋っているのさえ妖しく、誰かが憑依したのかもしれません。

 

 

 

結局この家族は、表立って会話をすることが少なかったとは思いますが、

 

長男の成長を願い、長男を想う両親の慈愛に満ちた眼、そして

 

幼いころから両親の背中を見て育った長男の複雑な想い…

 

絆は結ばれていました、家族は響きあっていましたよ。

 

 

 

ホッとしました、良かったと思いました。

 

カラッと晴れた青空の下、何故かこの時ばかりは爽やかに響く霊柩車のホーン。

 

幸せな音に聞こえました。

 

 

 

喪主の挨拶は、間違いなくご両親が見守っていたように思います。

 

 

 

合掌。