善光寺について ① (井手)

 

講習会の前日、会場や宿泊施設から程近い善光寺を散策した。

 

以前見た時と変わらぬ雄大な佇まい。

 

1300年の歴史の重みと云うか、建造物や遺跡がどっしりとしている。

 

悪くはないが、もう少し静けさがあればいいのに…

 

だけど、この思いの外の落ち着きの無さも観光客のせいか?

 

いや、寺院でありながら観光地のような商売をしているのも事実だろう。

 

お互い様か。

 

 

 

 

中国で食用の鳩が、仏像の頭に乗り…これこそ平和の象徴だとニヤリとして

 

写メを構えたら、パタパタと一斉に逃げられた。

 

きっと私の後ろで騒いでいる中国人の団体に捕獲され、食されると思ったか。

 

 

 

鳩は「クックッー」と鳴くから「九」の字を使い

 

鴉(からす)は「ガーッガーッ」と鳴くから「牙」の字を使う…

 

こんな時に、以前に書いた事が思い出された。

 

暫くの間、鳩が戻ってくるのを待っていたが、諦めた。

 

 

 

善光寺は無宗教、ということになっているが、多分、天台浄土門ではないかな。

 

「牛に引かれて善光寺参り」また「遠くとも一度は詣れ善光寺」とは有名だが、

 

宗派の別なく極楽往生を願う人々の信仰を集めたらしいのだが、ちと問題が。

 

 

 

各宗派が揃いも揃って、皆、極楽浄土へ行くっていうのですか?

 

そりゃ可笑しいでしょ。

 

宗教的には、天台宗と浄土宗と浄土真宗だけではないかな?

 

日蓮宗には極楽浄土はなく、霊山浄土、へ向かうだろうし、

 

臨済宗や曹洞宗や黄檗宗の禅宗も、考え方が違うのでは?

 

真言宗には極楽がある…としても、それは真言宗の考え方の極楽であり

 

恐らく浄土真宗等では、それは認めていないだろう。

 

それぞれの宗派が、亡くなった後に赴く浄土が、

 

どこにあるかを知ればいいのになあ。

 

 

 

 

だからと云って極楽が、決して憧れて夢見るような所ではないでしょう。

 

阿弥陀経を読めば極楽の様子が描かれていますが、

 

そこには…

 

風呂もありませーん。(えーっ)

 

暗くならないので眠れませーん。(寝不足だー)

 

聞いたことも無い(恐らくインド風の)音楽が鳴りやむことも無く煩いでーす。

 

唯一の救いが、綺麗なお姉さんが一杯います…やったーラッキー!

 

因みに、下の写真はインドの神様(女神)ですけど、色っぽいでしょ。

 

 

 

 

 

 

結局は、これかいっ!

 

これで極楽に行きたいのか。

 

ん~~~分かるから怖い。

 

 

 

少し、天邪鬼でしたかね。

 

いやいや、民の信仰は、大らかでよい、浄土なんぞ知らなくてよい。

 

信心…半分、旅…半分でよいではないか、オッホホホ。

 

お前は、殿様か。

 

講座の受講…遊ぶ半分で…良いわけはない。

 

 

 

明日は、善光寺について②だよ。