講習会の前日、会場や宿泊施設から程近い善光寺を散策した。
以前見た時と変わらぬ雄大な佇まい。
1300年の歴史の重みと云うか、建造物や遺跡がどっしりとしている。
悪くはないが、もう少し静けさがあればいいのに…
だけど、この思いの外の落ち着きの無さも観光客のせいか?
いや、寺院でありながら観光地のような商売をしているのも事実だろう。
お互い様か。

中国で食用の鳩が、仏像の頭に乗り…これこそ平和の象徴だとニヤリとして
写メを構えたら、パタパタと一斉に逃げられた。
きっと私の後ろで騒いでいる中国人の団体に捕獲され、食されると思ったか。
鳩は「クックッー」と鳴くから「九」の字を使い
鴉(からす)は「ガーッガーッ」と鳴くから「牙」の字を使う…
こんな時に、以前に書いた事が思い出された。
暫くの間、鳩が戻ってくるのを待っていたが、諦めた。
善光寺は無宗教、ということになっているが、多分、天台浄土門ではないかな。
「牛に引かれて善光寺参り」また「遠くとも一度は詣れ善光寺」とは有名だが、
宗派の別なく極楽往生を願う人々の信仰を集めたらしいのだが、ちと問題が。
各宗派が揃いも揃って、皆、極楽浄土へ行くっていうのですか?
そりゃ可笑しいでしょ。
宗教的には、天台宗と浄土宗と浄土真宗だけではないかな?
日蓮宗には極楽浄土はなく、霊山浄土、へ向かうだろうし、
臨済宗や曹洞宗や黄檗宗の禅宗も、考え方が違うのでは?
真言宗には極楽がある…としても、それは真言宗の考え方の極楽であり
恐らく浄土真宗等では、それは認めていないだろう。
それぞれの宗派が、亡くなった後に赴く浄土が、
どこにあるかを知ればいいのになあ。
だからと云って極楽が、決して憧れて夢見るような所ではないでしょう。
阿弥陀経を読めば極楽の様子が描かれていますが、
そこには…
風呂もありませーん。(えーっ)
暗くならないので眠れませーん。(寝不足だー)
聞いたことも無い(恐らくインド風の)音楽が鳴りやむことも無く煩いでーす。
唯一の救いが、綺麗なお姉さんが一杯います…やったーラッキー!
因みに、下の写真はインドの神様(女神)ですけど、色っぽいでしょ。
結局は、これかいっ!
これで極楽に行きたいのか。
ん~~~分かるから怖い。
少し、天邪鬼でしたかね。
いやいや、民の信仰は、大らかでよい、浄土なんぞ知らなくてよい。
信心…半分、旅…半分でよいではないか、オッホホホ。
お前は、殿様か。
講座の受講…遊ぶ半分で…良いわけはない。
明日は、善光寺について②だよ。