港区の「麻布十番」を、フランス語風に「Azabujuba-nu」と呼んで、
フランス語が日本語になった例だから…と真っ赤なウソをついていた。(笑)
驚くなかれ、「襦袢(じゅばん)」は本来、日本語ではない。
それこそフランス語だと言いたいが、実はポルトガル語である。
そもそも日本に初めてやってきた西洋人はポルトガル人であると、
記録上はそうなっている(1543年種子島の鉄砲伝来)。
日本は一時期、大ポルトガルブームに包まれた。
因みに、織田信長が1534年生まれ、
秀吉は諸説あるが1537年生まれ、
徳川家康は1543年生まれ…鉄砲伝来の年とビンゴである。
当時を、ざっとでも想像してくれればよいが…
当時の戦国武将たちは、南蛮渡来の衣装に身を包み
ある意味、お洒落を競い合っていた。
当時の武将のファッションは、今でも欧州のデザイナーを引きつけるが、
考えようによっては当たり前で、ポルトガルと日本の融合だから。
ところで、ファッションの話は専門外。
今日は、「襦袢」のようにポルトガル語から、または外国の言葉が
日本語となって久しく、まるで外国の言葉とは思えない日本語を紹介したい。

「イクラ」はロシア語、「さぼる」はフランス語、と云うように
すっかり日本に根付いた、ポルトガル語とは…
カッパ(合羽)、ボタン(釦)、ブランコ、ビスケット、カボチャ(南瓜)、
カステラ、金平糖、かるた、コップ、ジョウロ(如雨露)、ミイラ、
おいちょ(かぶ)、おんぶ、シャボン、ピンキリ、パン、天ぷら、たばこ
先に書いた「襦袢」などは下着のことである。
考えてみると、日本人は昔から他国の言葉が大好きなのかもしれませんね。
そういえば日本語は、清音、濁音(が)、半濁音(ピ)に分かれますが、
正式に「濁点」が使われた法令文書では1927年(昭和2年)からです。
それでも1945年(昭和20年)の終戦の詔書でも濁点はありません。
かつての日本には地域(庶民レベル)によっては「゛」2本の濁点符を使わずに、
濁点が3本だったり、4本だったり統一されていませんでした。
それが2本になるのも、豊臣秀吉による天下統一がキッカケと云われています。
また、その濁点符を発明したのも、
実はポルトガル人では…という説もあるのです。
「か」の「K音」が、濁点符を使えば「が」の「G音」に変化するなんて、
日本人が考えて、思い付くのでしょうか?
それは、半濁音の変化(P音⇒B音)も同じ。
元来、日本語には「濁点符」は存在しておりませんでした。
文章は全て「清音」で表現されていて、
前後の文章の内容で「音が濁ったり」していたようです。
ある意味、「清音」神話のような、濁ることを嫌っていた節があります。
今でも、赤ちゃんの命名で「清音」に拘る話はよく聞きます。
面白いです、日本語は。