私には、24歳頃だろうか、縁があって6~7年お世話になった草野球チームがある。
その頃、年間35試合程度試合をこなした。
チームの(野球の)監督は、2001年に亡くなられたシナリオライターの永原秀一様。
永原監督のホテルでのお別れ会は、当時の石原軍団が施行した華やかなものだった。
私もラグスというチームに一員として参加するのだが、
その会場には、奇遇にも総合ユニコム様が取材でいらしていた。
露木さんが司会をして、私たちの仲間はラグスのユニフォームを着て演目を…
ユニコム様に、私のことは記事に載せないでね、と頼んだ。
全く違う、プライベートの「私」がそこにいたからだ。
あれから15年…チームの仲間とは年1回程度飲んでいる。
皆さん、老けた、歳を取った。
いつもそんな話だ。
4日前、訃報が届いた。
チームのY氏が亡くなったという。
色々と事情もあって、火葬場でお別れをすることになったのだが…
私は行けなかった。
セミナーの仕事が忙しくて、つい仕事優先で、日取りを間違えた。
本当は行けたのに、行けなかったのだ。
今日、多磨斎場に行き…自分の痛恨のミスに気付いた。
誠に、誠に申し訳ない。
Y氏は、ラサール(記憶が違ってたら申し訳ない)から早稲田、そして東宝撮影所。
映画監督であり、草野球のチームメイトであり、只の酒飲み友達である。
酔うと、少し甲高い声で、「井手チャン!」と寄ってきてくれて、
肩を組みながら自論を展開するのが、弱々しくも懐かしい癖であった。
野球チーム時代、彼の監督する「SFナインティーン」に出演させていただいた。
監督業の多忙な中、私のことを気に掛けてくれたのだろう。
下手くそな私に、現場を経験させてくださったのだと思う。
それから直ぐに「死のハネムーン」というドラマで、
少年隊の錦織君と後にテレビで共演することになった。
(古い話ですみません)

(この脚本もチームメイトの柏原寛司さんです)
皆と会って、Y氏のことを話したい。
偲びたい、と思う。
酒を飲みたい、と思う。
15歳も年上の「友達」と気楽に飲めたあの頃が不思議だ。
後日のお別れ会が待ち遠しい。
ご冥福を祈ります。