3日間の内訳は、初日が「基礎編」、2日目・3日目が「応用編」。
各県別に単独で開催している所も多々あるけれど、全農本部の企画としては、司会の「基礎編」はこの20年間やっていなかった(中級以上ばかりであった)。勿論、各県主催でもやっていないところが多い。
似た講座で「葬祭初級講座(3日間)」の中での司会編(1日)は、参加者全員が司会者を目指すわけではなく、寧ろ、そういう人は少ない。だから「基礎編」の参加者…司会者並びにそれを目指すスタッフ、とは全く参加者もその内容も異なるのだ。

では、「基礎編」の根幹は何か。
【息を吐くことである】
とても大切なのだが、この話を理解するのは時間が掛かる。(よって省略)
【日本語の特性を知ることである】
日本人なのに、日本語を学ぶことが無い。だから無知である。
書かれた言葉を(話しているように)読む時(これが難しい)、
アナウンサーには知らなければならない、学ぶべき事柄がある。
(アナウンサーでなければ、知る必要はなく日常生活は成り立つだろう)
只、司会の末席にいるとはいえ(語弊があるかな)葬儀の司会もこのルールからは抜け出せないのだ。だから知る必要がある。
更に、基本的な事をいくつか重点的に学ぶ。
アクセントとイントネーションの違いや間の基本的な長さが分かっていない。
身体の態勢と声の関係。
声の音域と相応しい声の幅など。
初日は、理論が中心で実践は少ない。
それでも、あっという間に変わって、吃驚するほど上達する人が2~3人は出る。
自分の声を、巧みにコントロールしているのだ。
自分の声を、客観的に聞いているのが良く分かる。
素晴らしい。
「声」が結局は「音でしかない」という本質の部分を理解したのかもしれない。
この講座、面白い。