ふるさとは遠きに…(井手)

 

私には実家などと云うものはない。

 

ただ私が小学校高学年まで父と二人で住んでいた街の近所に、

 

一回り歳の離れた母親違いの姉が居て、福岡へ行く折は時々泊まっている。

 

この度、その姉の孫(私から見れば姪の子供)の結婚式に出席することになった。

 

しかし、いつもそうしているように、結婚式の前日にも姉の家に泊まるとなれば、

 

当日の朝の台風のような慌ただしさに巻き込まれることは必至である。

 

怖いので、前日は式場の近くにホテルを手配した。

 

ホテルの目の前が、中国人で一杯の「スペースワールド」である。

(チャイナワールドと云ったら叱られるから気を付けてね)

 

(すっかりクリスマスムードのロビーとチャイナワールド…こらっ!)

 

 

 

実は37年前「東映俳優演技研修所」(名前は忘れた)という学校に通っていた。

 

当時、都立大学に通いながらの二股であるから、

 

私が如何に大学で勉強しなかったかが分かる…ホント自分で良く分かるのだ。

 

この東映…には、九州の実家が近い友人が二人いた。

 

二人とも私より年上で、K君とTさんだ。

 

そのK君が住んでいる懐かしい街を訪れ、甘味処「きねや」を訪ねた。

 

K君はご尊父の後を継いで「きねや」という屋号を守っている。

 

 

 

私が住んでいた街は想像を絶するくらいガラが悪く、例を挙げると、

 

カツアゲが横行するので街を歩くときには靴下の中にお金を入れて歩いたほどだ。

 

約半世紀前の昔、これが小学生の時からの習慣であった。

 

 

 

K君の住む街は北九州市、つまり政令指定都市に当たる。

 

いくらガラが悪いといわれても知れているし、いや、柄もそんなに悪くないのだ。

 

今では…(笑)

 

 

 

懐かしくて黒崎の街並みを歩いてみた。

 

井筒屋というデパートは、子供の私にとっては都会の象徴だった。

 

50年という歳月は、良くも悪くも人を変えてしまう。

 

何か、田舎っぽい所へ来たような、そんな印象を受けた。

 

 

 

ふるさとは 遠きにありて思うもの

 

そして悲しくうたふもの

 

よしや

 

うらぶれて異土の乞食となるとても

 

帰るところにあるまじや

 

(室生犀星)

 

 

 

故郷は、思い出す、それがベストなのかもしれませんね。

 

 

 

そしてK君と再会しました。

 

呑みに行きました。

 

酔いました。

 

賄賂にも触れてしまいました。(ダハッ)

 

(八幡西区萩原駅前、甘味処きねや菓子店の主人です)

 

 

 

思い出話は尽きませんが、夜も更けてホテルへ戻り温泉へ。

 

次回は、結婚式です。