私は中学時代、野球部だった。
40年以上も前の話だ。
私の中学校は佐賀県佐賀市立城南中学校と言い、
あの佐賀の田舎なのに男子学生は長髪が認められていた。
だから、坊主にするのは野球部くらいのものだ。
当時の指導風景が、何故だか「写真」に残っている。
先生から「ポカン」とやられる。
やられた方だって何とも思っていない。
愛情が通っているから。
現在とは大違いである。
ところで、野球部の輝かしい歴史には、母校の先輩、永淵洋三氏が、
プロ野球で首位打者に輝くという金字塔を打ち立てた事であろう。
今にして思えば、彼はプロ野球のデビュー時、投手として登録され、
投手、外野手、代打の3役であった。
何となく、2刀流の大谷選手と被るではないか。
そして、大記録を残したのが、デビュー時は代打でしが無かった「打つ」ことであった。
1969年、打率333、張本選手と首位他者を分け合った。
(顔を隠してないのは私だ)
その後、数年先輩に島田洋七氏が居て、「がばい佐賀のばあちゃん」で人気を博す。
彼も、野球部の先輩である。
現在は、千葉ロッテの高濱卓也氏が後輩にあたる。
今でも年に数回、野球部の連中とは酒を酌み交わす。
残念ながら、同世代からスターは出なかった。
しかし3年間流した汗は、人生の力になっていると思う。