アンコール・ワット (井手)

 

 

 

全ての道はアンコールへ通ず。

 

どこかで聞いたようなセリフだが、1213世紀カンボジアが最も栄えた時代。

 

王国は現在のタイやラオスの一部もその勢力下に置いていたという。

 

その沿道には、100以上の宿駅や施療院が点在していた。

 

 

 

恐らく古の人々も歩いたであろう古道を、我々はバスを走らせる。

 

沿道を眺めると、水遊びに興じる子供の姿や素朴な草葺きの高床式の家がまばらに建つ。鶏が走り回り、信号機のない道路も構わずにノンビリと牛が横断する。

 

 

 

延々と続くかと思われた道に突然現れた天空の楽園、アンコール・ワット。

 

理屈ではなく、その壮大さ、パワーに圧倒される。

 

インドのタージ・マハルで感じたのと同じ感覚。

 

現代に住む我々から見てもこの有様だから、往時は計り知れない感動を生んだはず。

 

 

 

 

 

 

神のための宮殿と王のための宮殿は違っている。

 

神のための宮殿は耐久性のある砂岩やレンガで、

 

王のための宮殿は自然の恵みを象徴する木造で、と材料を分けて作ったという。

 

だから、神のための宮殿が遺跡となって残っている。

 

アンコール・ワットは神の宮殿だ。

 

失われてしまった王のための宮殿は、果たしてどんな様子だったのか。

 

 

 

長い参道を辿り西向きの宮殿の内部に少しずつ近づく。

 

最後の最後、一番奥が重要な空間になっている。

 

これは参道の一番奥に神殿がある日本の神社と同じだ。

 

 

 

アンコール・ワットの中心部の十字回廊には、沐浴場と考えられている4つに池がある。

 

神も沐浴するのか…等と笑っていたら、水浴びのための施設というより、

 

農業技術を支える治水技術を示す宗教施設であったとのこと。

 

この時代、水を制する者は農業を制し、国を支配した。

 

 

 

 

 

内部の壁面に浮かび上がる様々な彫刻群。

 

中でも女神の美の競演は妖しい世界へと誘う。

 

参列者が触るからか、女神の胸が遠慮なくテカっている。

 

「何かご利益があるのですか?」

 

ガイドは二ヤリと笑う。

 

「日本人は面白みがない、真面目すぎると…」

 

 

 

 

 

王専用の階段か?

 

回廊の四隅に建つ尖塔。

 

世界の中心で神々が住むと信じられた須弥山を模していると言われた。

 

仏教とヒンズー教が混ざっているからゴチャゴチャだ。

 

 

 

アンコール時代には紙がない。

 

文字は貝葉や動物の皮に書くか石に彫られた。

 

故に断片的な情報でしかない。

 

石組みの不自然なほど、油断をすれば足を捻挫しかねないほど捻じれた凸凹感。

 

これは、一方から過大な力が加わっても一気にずれることが無いようにと、

 

大きな石を無駄にしないでそのまま使えたという事らしいが…

 

 

 

回廊の内部に入っても広い。

 

広いということは、それだけで贅沢である。

 

 

実は、ワットを観る前にアンコール・トムも見学した。

 

アンコール・ワットの建設から半世紀後に建てられたものだ。

 

5つの門に囲まれた都城である。

 

下の写真はその入口の一つ、言うなれば「凱旋門」である。

 

 

 

やはり多くの遺跡の中、女神の活躍が目立つ。

 

そしてここも見学者で溢れていた。

 

 

 

動物の遺跡も多い。

 

神によって乗り物が決まっており、だからだとは思うがセットである。

 

 

 

 

まだまだ報告しきれないが、この辺りでペンを置く。

 

アンコール・ワットの見学終わりに屋台でビール。

 

とても暑かったが、一息ついた。

 

そしてラストは、忘れられないサンセットの写真。

 

感慨深い。

 

もう一度訪ねてみたくなった。

 

 

 

 

では。