1963年、当時日本中を騒がせた吉展ちゃん事件が起こった。
吉展を「よしのぶ」と直ぐに読める人は同時代を生きた方か、
或いはもう少し年上の人間だ。
私は1959年生まれだが、我々の世代は親から耳にタコが出来る程、
口を酸っぱくして言われ続けた。
知らないオジサンやオバさんに声を掛けられても、付いて行っちゃダメ。
その記憶が嫌と言うほど植えつけられたので…こんなことも…起きた。

私の同級生の話だ。
九州の夏は暗くなるのが遅い。
午後7時でやっと陽が落ち始めることもあった。
ある夏の日のことだ。
彼はその日「カスミ網」で雀を取っているオジサンに夢中になっていた。
※カスミ網…小鳥捕獲用の網。細い 絹糸で目立たないように編んだもので,高さ4~6m幅 16~20mの大きさで,山や森の 木にしかけ,飛んでいる小鳥を獲えるのに用いる。江戸時代から行われてきた
今はあまり見かけないが、1960年代にはよく見かけたものである。
面白いように雀が捕獲されていく、その様子が堪らなかったと彼は言う。
ふと気づけば、陽は半ばまで落ちていた。
6時を過ぎた頃かな、と帰途に就く。
その頃、家の方では息子がまだ帰ってこないと大騒ぎ。
間もなく、7時になろうとしているのに。
そんな時、「ただいま」と帰ってきた。
「どこに行ってたの?」
何やら怪訝な様子に、彼は困惑し、そしてついに言ってしまった。
日頃から言われ続けていた言葉を。
「知らないオジサンに声をかけられて…」
その瞬間から家族は大騒ぎで
「どこで声をかけられたか」
「どんなオジサンだ」とか
警察に連絡し、刑事が呼ばれ、事細かく調べて行ったらしい。
20年後、彼は言っていた。
成人式には、実はあの話は…と言おうとしてたんだけど、
親御さんから「よく育ってくれたわ、あの時付いて行ってたら…」
と、蒸し返されとても切り出せなかったと。
I will carry the secret to my grave。
墓場まで持っていく決心をしたそうである。
でも、それって親には秘密だけれど、我々には喋っているからね。
ところで吉展ちゃん事件の犯人である「小原保(こはらたもつ)」の刑は
1971年に執行された。
彼は、刑事平塚八兵衛に「真人間になって死んでいきます」と伝えたらしい。
貧しい生い立ちの小原は小学校を出て上京して働くが、
幼い頃に患った骨髄炎の影響で片足を引きずるように歩いていたという。
色々と想像するに、世間で生きていくには大変だったろうと思う。
世の中は決して平等じゃないからね。
では。