何処へ行っても森友学園騒動が猛々しい。
だから落語の席でもマクラは森友学園?といわれているそうだ。
大坂の方では、今日の挨拶代わりに使われているみたい。
凄まじいね。
その森友学園が世の中に登場した2月半ば。
我が浄土真宗本願寺派で源信和尚の千回忌が営まれた。
※源信和尚(げんしんかしょう)恵心僧都と尊称されている。
今年の葬祭ディレクター技能審査試験でも出題される可能性大の人物だ。
源信和尚は浄土真宗の掲げる七高僧の第六祖の当たる人物。
二十五三昧会を結社し、毎月15日には25名の僧侶が集い念仏三昧を修めた。
そして44歳の時、僅か半年で往生要集を書きあげたという。
この本、今でも文庫で出版されている。
源信和尚の臨終行儀は現代の枕経の起源とも言われたり、
仲間に病人が出た際は、順番に看病や念仏を勧めたという。
今で云うビハーラ活動の先駆けのようだ。
しかも、歴史上初めて天台座主が本願寺の阿弥陀堂で導師をつとめられた。

本願寺新報に、法要の正式名称から差定が掲載されているが、
私が興味を持ったのは、さて阿弥陀経をどうしたかである。
何故なら、同じお経なのに、天台宗と真宗では読み方がまるで違うから。
天台宗は漢音読み、真宗は呉音読みである。
「ふっせつあびたけい」と読む天台宗に対して、真宗は
「ぶっせつあみだきょう」と読むから合わない。
真宗は1巻全て読誦するが、天台宗は中抜きで頭とお尻だけ。
まあ。諸々違うのだ。

「本願寺新報より…森川宏映天台座主(写真左)と専如ご門主」
改めて式次第の差定を見てみると、それぞれの宗派の僧侶たちが左右に分かれ、
持ち場を分担して、法要を務められたようだ。
因みに阿弥陀経は、本願寺の僧侶たちの担当となり、
本願寺で親しまれている呉音で読誦されたという。
本願寺と天台宗が合同法要。
こういうことは、どんどんやって欲しいなあ。