職業病かもしれぬ。
長いことインストラクターをやらせてもらっているから
他人の悪い所が目につきやすくなった、というか
修正するのが仕事だと思っているから、その癖が抜けない。
自分の悪い所が一杯あるのに、そこには意識がいかず
ついつい他人の悪い所だけを見てしまうものだ。
職業柄だけでなく、私自身の性格の悪さもあるのだろうが、
よく考えてみれば、自国と他国の関係に於いても同じような気がする。
もっと小さく考えれば、隣県についても言えるだろう。
隣県よりも我が県の方が…となりやすい。
本質的に人間の弱い部分である。
お互いの足らない部分を埋め合わせて生きていくしかない。

話しが繋がらないと思われるかもしれないが、
人間は弱いからこそ、葬式には「悲しみ」の共有が必要だと思う。
その人が生きていた偉大さの分だけは悲しもう。
悲しむ時間は、生きていく上で大切である。
他所のアラばかりが目につく私だが、
こう見えて意外と涙もろいのだ。
何であっても他者と「共有」することで、
安心感は得られる。
労わり合うのは良いものだ。
人間だからね。