朝日デジタルのニュースより。
望まぬ妊娠、おなかにバッグ落とし… でも育てると決意
母親の手をしっかりとつかんで歩く男の子。取材に訪れた記者にも、会うなり手をつないできてくれた。ぬくもりが伝わってきた。
幼稚園に通う男の子が母親と手をつなぎ歩く。にこにこ笑顔で、道路を見ては「あ、ショベルカー」、池を見ては「コイがいる!」。20代の母親は「かわいいですよ」と頭をなでる。
赤ちゃんポスト10年、現実映す 120人以上預かる。

「消えてなくなれ」。一度はそう思った命だった。10代での望まない妊娠。周りに打ち明けられずに一人で産んだ後、「ゆりかご」に託した。男の子は、16年3月末までに預けられた、125人の中の一人だ。
妊娠したのは、地元の九州を離れ、中部地方の看護の専門学校に通っていた時だった。交際していない男性と1回だけセックスした。生理が来ない。検査薬で調べると陽性だった。「どうしよう……」。学生では育てられない。中絶も考えたが、ずるずると日が過ぎた。「逃げてましたね」と当時を振り返る。
あっという間に、22週を過ぎ、中絶手術が受けられなくなった。おなかはどんどん大きくなる。学校にばれれば退学になるかもしれない。周囲にはひた隠しにした。唯一話した友人には「産んじゃえ、産んじゃえ」と軽いノリで言われ、相談する気がなくなった。「生理来てる?」と心配する人には、「太りました」とうそをついた。頑固な父に告げて怒られるのも怖かった。相手の男性とはそれっきりで、相談しなかった。
「流れないかな」。おなかに重い物を入れたバッグを落とした。「このまま誰にも気づかれずにすめば」。だが、命は強かった。
夏のある日、急におなかが痛くなった。学校の寮の部屋でひとり、うめき声を上げ続け、気づいた。「そろそろ出産の時期だ」。男の子をトイレで産んだ。
顔を見ると「めちゃ、かわいい」。おっぱいをあげ、一緒に風呂に入った。
翌日から、赤ちゃんを部屋に1人残して実習に通った。「とにかく死なせちゃいけない」。エアコンをつけて部屋を出て、昼には授乳のため帰った。ベッドから落ちていたり、脱水症状で弱っていたりすることもあった。情がわき始めた。
ちょうど、父から別件で実家に帰ってくるように言われていた。「連れて帰れないし、私には育てられないし……」。悩んでいる時、テレビなどで話題となっていた「赤ちゃんポスト」をふと思い出した。
父には「熊本の友だちと遊んでから帰る」とごまかして、新幹線に乗った。熊本駅で初めて赤ちゃんの写真を撮った。タクシーに乗ると運転手が言った。「かわいいですね」。別れを前に、悲しみがこみ上げた。が、預けるしか選択肢はなかった。
病棟の外側に設けられた二重扉を開け、中の保育器に赤ちゃんを置き、帰ろうとした。その時、病院の女性が声をかけてきた。「ちょっといいですか?」。自分の話を寄り添って聞いてくれる女性の胸で泣いた。「どうしたいの?」と聞かれ、初めて思いを口にした。「卒業して、働くようになったら引き取りたい」
預けた後、打ち明けた父は責めなかった。「生まれたものは仕方がない。幸せになるためにがんばりなさい」と言ってくれた。
男の子は児童相談所に保護され、乳児院に入った。いまは、母親の地元の児童養護施設で生活している。母親は働きながら、月に1、2回ほど会いに行く。小学校に上がるまでには引き取るつもりだ。今から「ランドセルは何色にしようか」と考える。不安もあるけど、楽しみだ。
一時は思い詰めて、2人で死ぬことも頭に浮かんだ。「(息子の存在が)なかったことにならなかったから、いま幸せ」。預けたのは間違いではなかった。母親はそう思っている。いずれ、息子にはすべてを隠さず伝えるつもりだ。
「うそはつきません。本当に大好きだから」
以上
私は、この方が必ず迎えに来ることを信じます。
面会の最後、「明日、あらためて迎えに来ます」
「一緒に帰ろうな」
父親はそう言い残して去っていった。
それから二度と戻ってはこなかった。
待ち望んだ明日は来なかった。
5歳の子供はすっかり帰る支度をしていたのに…
その時の子供はもう立派な成人。
こんな事柄は枚挙に暇がない。
それでも信じるしかない。
どんな運命が待っていようとも、負けたら駄目だ!