太平洋戦争末期に日本の陸海軍が編成し、敵に体当たりなどをした「特別攻撃隊」。
略して「特攻隊」と呼ばれた。
1944年10月、海軍が航空機による「神風(しんぷう)特別攻撃隊」を編成し、
フィリピン沖で米艦隊に突入。以後、沖縄戦などに次々と送り出した。
海軍のベニヤ板製ボート「震洋」や、人間魚雷「回天」などの特攻も行われた。
特攻による戦没者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」
の調べによると6千人を超えるという。
以上、朝日デジタルニュースより

焼き場に立つ少年。
幼子の亡きがらを火葬にする順番を歯を食いしばって待つ様子をとらえた
(1945年、長崎、ジョー・オダネルさん撮影、坂井貴美子さん提供)
死へのパスポート、それが特攻だ。
私は、海軍のベニヤ板製ボート「震洋」については知らなかった。
人間魚雷「回天」も映画で知ったぐらいだから。
ニュースの続きを見ると
使われたボートの秘匿上の通称は「連絡艇」。
頭文字から「マルレ」と呼ばれた。
資材不足の中、速度を出すため、薄いベニヤ板と自動車のエンジンでつくり、
船尾には250キロの爆雷を積んだ。
捨て身で敵艦に夜襲する作戦。元隊員たちがまとめた「マルレの戦史」によると、
前線へ赴いた計30戦隊3125人のうち6割近い1793人が亡くなった。
以上。
72年前の話だ。
悲惨な亡くなり方をしたのは若者だけではないだろう。
今、改めて我々日本人は、多くの人々の屍の上に立っていることを忘れてはならない。
戦争を経験したことがある方の割合を70歳以上とすれば、人口の約2割だ。
伝えていくべき大事なことがある。
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