司会研修の前日。
旧暦10月になると、全国の八百万の神々がここ出雲に集結する。
神迎祭(かみむかえさい)からはじまり、神在祭(かみありさい)
そして、全国に神々をお見送りする神等去出祭(からさでさい)が執り行われる。
だから出雲では、10月を神無月とは呼ばずに神在月と呼ばれる。
南方の方にしか存在しない「背黒ウミヘビ」が、
時々潮流の関係か何かで流れ着くらしいが、この蛇の鱗が出雲大社の家紋にそっくり。
だから、稲佐の浜に到着した全国の神々の先導役は、この海蛇です。
神々が滞在されるのは七日間。
人生諸般のことを神議り(かむはかり)にかけて決められるらしい。
男女の結び付きも、この時の神議りであるといわれている。
羽田を早く発って縁結び出雲空港に降りたのが午前11時半。
出雲市駅までは高速バス、そこでレンタカーを借りた。
出雲大社と隣接する古代出雲歴史博物館に向かった。
(縁結びの神様だからね)
参道は必要以上に広く、所によっては左右に別れ、神秘的な静寂の中を進んでいるよう。
右手に、幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)のお陰をいただく大国主大神の像を見る。
間もなく社が見える。
身を浄める手水舎の横には、ゲームアプリ・ポケモンGOの使用を禁止する看板。
途端に現実に引き戻される。
ポケモン、神様に怒られそう。
出雲大社で24メートルの本殿をしげしげと見上げ、
これが嘗ては巨大神殿だったというが…興味深い。
出雲大社は、参拝方法が二拝・四拍手・一拝という珍しいパターンだ。
(一般的には、二拝・二拍手・一拝)
出雲大社と同様の参拝方法は、新潟の彌彦神社、
大分の宇佐神宮、佐賀の祐徳稲荷神社などが有名か。
因みに、稲佐の浜にお着きになられた全国の神々が七日間宿泊する場所が、以下の写真。
本殿の柵の外側に左右建てられている、横に長―い建物。
十九社(じゅうくしゃ)と言います。
八百万の神々だよ、そうとうごった返すな。
古代出雲歴史博物館に入る。
ここに、平成12年に出雲大社境内遺跡より出土した
旧出雲大社本殿の巨大柱の実物が展示してある。
宇豆柱といわれるもので、1本の柱の直径は平均130㎝、年輪は190年。
この大木を三本一組にして輪で括り、一本の柱として使用しているのだ。
下の図面では、一番手前と、右側の中央だったと思う。
もっと掘ればと思うが、境内だからそうはいかないらしい。
「引橋長(ひきはしながさ)一町」と書いてあるが、109メートル位だ。
本殿に登る階段だけで100m越え…だから嘘を書いたのでは、と疑う人もいたと…
当時の国学者、本居宣長ですらその図面の写しを見た時に、いぶかしく思った程である。
江戸時代の「玉勝間(たまかつま)」に記載がある。
少し長くなったので、この続きは明日。