私は、本当の看取りの経験がない。
まだ井手家に養子に行く前、園田という苗字で父親と二人暮らしだった。
ある日、その父が突然亡くなる。
その日、父は我が家に友人に担がれて帰ってきた。
片手と片足が動いていない、口も回らないようだ。
その父の姿を見た途端、これは普通じゃないと感じた。
「じゃ、KAZUO君、帰るからね」と、
父の知り合いはワザと明るく振る舞い、
しかし私は帰ろうとする友人を少しだけ引き留め、
近く住む姉に電話をするために店まで走った。
その後、姉や兄たちが続々と集まり、
布団に寝かせた父の枕元は、私の定位置でなくなった。
気が付けば、救急車に乗せられた父と離れ離れにされた。
私はその夜、親戚の家で寝ることになる。
数時間後、一番上の姉が私を起こし、「父ちゃんが死んだ」と告げられた。

今で云うPPKで、寝たきりとか半身不随とかで家族に迷惑を掛けずに逝った。
しかし、子供の私は納得していなかった。
救急車に同乗できなかったこと。
小学5年生の私が、小さいというだけで父から離されてしまったこと。
大人たちの横暴に思えた。
理屈は分かるが、遥か年上の兄弟がもう少ししっかりしていれば…いや、
父が、いつまでも自由に一人で暮らしたがることについての話し合いや、
今流行の終活なんてない時代だから、自分が死んだ後のことを考えていない。
結局、私は振り回された。
ただ、最後まで父を看取りたかったのに、
少なくともそれに近いことが出来ていれば
もう少しスッキリしただろうな。
身内を亡くした時、何が残るのかと考えれば、
納得のいく亡くなり方をさせたかどうか。
これは非常に大きいと思う。
最後まで、逝く人の心を支えたという自負がないと、心がヒリヒリと痛む。
看取りは、最後の看護というより
…心の作業だから。