講習会報告② 仙台から松本へ (井手一男)

 

2日間の講習会もあっという間に終わり、

今年も昨年みたいに全員が合格すればいいのにと願いながら松本へ。

 

ただ初日終了後、毎年恒例のズーズー弁の幕張講師k氏と

事務局の方と3人で情報交換をした。

皆さんはきっと呑み会だろう、と言うに決まっているがそれは間違っている。

K氏は、居酒屋では呑んでいるように話すが、アルコール類は一切飲まない。

そこへ丁度、以前私の担当をしてくださった接待の鬼のような方、M様が登場。

吃驚したのと懐かしいのとやらで、挨拶をしたがお元気そうで何より。

いや、もしかしたら葬祭を離れてイキイキしているようにも見えないこともない。

 

まあいいか、健康そうだったから嬉しかった。

 

 

ここは県本部ビルの地下にある「さなぶり」というお店だ。

漢字で書けば「早苗饗」、これで「さなぶり」と読むらしい。

「早苗振る舞い」が「さなぶり」になったのではないかと言われる。

辞書には、田植えを終えた祝いこと、書いてある。

 

この話がキッカケだったか、ズーズー弁の酒類は一切飲まないミスターKが

(面倒臭いので以後はKと呼ぶ)、小学生の頃、学校の宿題というより課外授業

みたいな物らしいが、毎年学校を挙げてイナゴを取っていた期間があったらしい。

kは「おらだってイナゴさ、3キロだが調子のいい時は5キロぐらえとっでたよー」

何のイナゴ自慢だ?

長野だけでなく、宮城もイナゴを食っていたのか。

伺ってみると、学校からイナゴを取る青い道具を渡され

(それがどんなものかKは必死になって説明してくれるが、あまりよくわからない)

女の子も同様にイナゴを取っていたらしく(親とか祖父母が手伝うこともあった)、

そのイナゴを売って、キロ当たり幾らかで売れたらしく、

そのお金で学校の備品を買ったりしていたとか。

ベルマーク世代の私らには分かりません(笑)

 

 

 

というわけで、今年もお世話になりました。

でもこの話、松本でも聞いてきました。

 

では、いざ松本へ。