昔、私が5~6歳の頃だったと思うが、通りで小猫を抱いたことがあった。
一瞬「かわいい」と感じた次の瞬間、爪を立てられ「痛っ!」
慌てて手を放したがズルズルと胸から腹にかけてクッキリと傷跡が残った。
以来、猫が怖くて抱くことはなかった…幼い頃のトラウマだ。
50年以上生きていると、少しは考え方も変わってくるのか、
それともトラウマも解けていくのか分からないが、
猫を飼ったことが無くて一生を終えるのと、
猫を飼った経験があって一生を終えるのとでは、何か違いがあるのだろうか。
それは、飼ってみなければ分からない…では飼うか。
愚妻の友人が猫を飼っていて、仔を産んだらしい。
渡りに船である。早速、一匹貰い受けた。雌猫である。
名前は「すずめ」と付けた。
私は犬の様な名前にしたくて「タロウ」とか「ジョン」とかを候補に挙げたが却下され
では「イヌ」という名前にしたらどうか…これは無視された。
私にだって飼い猫に名前を付ける権利くらいある筈である。
少しひねて、愚妻や子供たちが云う甘ったるい猫っぽい名前は悉く退けてやった。
結局、すったもんだの挙句「すずめ」に決定。
お分かりになる方はすぐに分かるだろうが、朝ドラの影響が大きい。
また、犬っぽい名前ではないが、しかし猫っぽい名前でもないと判断しOK した。
我が家は今、「すずめ」「すずめ」の大合唱状態である。
私と愚妻と中3と小5と小1の5人が「すずめ」争いをしているのだ。
では皆さん、このかわいい姿をご覧あれ。

(2ヶ月を過ぎ、現在は3階タワーで暮らしています)
可愛いから爪立てられても全然平気、不思議である。
もし、この仔が大きくなって「すずめの恩返し」をされたらどうしよう。
「今まで育ててくださって、お父様、ついでにお母様、ありがとう」
急に日本語を話す「すずめ」にビックリするに違いない。
「少しの間だけ、この部屋から出て行ってください。お願いします。絶対に見ないでね」
(ウオ―、こ、これは・・・例のやつだな)
というような馬鹿な話までして楽しんでいる。
子供達も小さな命を大事にしてくれるし、情操教育にはもってこいだ。
情緒や感情を育み、心の働きを豊かにしてくれるだろう。
犬は、いつもこちらを向いている。
猫は、忘れたころに現れる。
この対比が、また良さそうな気がする。
では。