カップヌードル記念館 (井手)

 

 

 

2回関西エンディング産業展で大阪へやって来たのだからと

 

インスタントラーメンの発明者、安藤百福発明記念館へ足を延ばす。

 

現在、「まんぷく」というNHKの朝ドラで基になった安藤百福と嫁仁子の話。

 

TVでは、万平と福子になっている…まんぷく)

 

 

 

初日朝一番の講座終了後、もりやま屋のカレーを食べてから向かったのが阪急線池田駅。

 

その池田駅に到着したのが午後350分。

 

急ぎ足で向かったが、オリジナルのカップヌードルを作れるのは3時半までの入館者のみ。

 

見学だけなら4時半までと案内され、30分間だけ館内を回ったが満足した。

 

 

 

 

再現された小さな小屋で、その後チキンラーメンを生み出す実験を繰り返した。

 

1958年のチキンラーメンの発売、その後、カップヌードルで世界へ進出。

 

インスタントラーメンの歴史が壁一面に…

 

私は1959年生まれだから、インスタントラーメンの歴史は自身の人生と被る。

 

 

 

 

 

私が中学生になった頃、テレビで華々しく「カップヌードル」のCMが流れた。

 

美しいモデルさんが素敵な笑顔で登場し、フォークでカッコよく食べていた。

 

あの頃【カップヌードル】の意味が分からず、何せ多感なお年頃だったからか、

 

「カップル」と「ヌード」しか単語が頭に入って来なくて(馬鹿だ)、

 

どんな食べ物なんだろう!!とワクワクした挙句、友人とこんな会話をした。

 

 

 

(当時のテレビと自動販売機、懐かしい)

 

 

 

「カップル・ヌード」食べた?

 

いや食ったことない…えっ、名前は「ヌード・カップル」じゃない?

 

「カップル・ヌード」だろ。

 

違うって…

 

 

 

アホである、田舎者である、愚かである。

 

この友人は、「スパゲッティ」のことも「スゲパッティ」と言っていた。

 

あだ名だが「よっつ」と呼ばれていた。(個人情報?)

 

 

 

 

 

カップヌードルが食の世界を変えるのは、

 

調理器具と食器の両方を併せ持つ器…つまり発泡スチロールに辿り着くのだが、

 

その蓋はアルミ製でピタッと密閉し、円錐形のトップを切り崩したような器は

 

中の麺が途中で止まり(ひっかかる)、その麺の下に出来た空間には

 

うまい具合にお湯が混ぜ合わさり…等など非常に事細かに考えられている。

 

とにかく妥協は一切せずに、商品が端から最終形に近いのだ。

 

現在のインスタントラーメンは、有事の際の非常食から宇宙食に至るまで採用されている。

 

大げさでなく人類を救っているし、地球を飛び出してもいるのだ。

 

 

 

 

 

オリジナルなカップヌードルを作るための作業場も広い。

 

コマーシャルの変遷を見ると、若者をターゲットにしたコンセプトからスタートして

 

今ではその若者が歳を取ったから全世代に向けて家族の誰もがターゲットである。

 

また「食で世界を救う」のスローガンで、全ての特許を開放したのも素晴らしい。

 

そういえば諸外国では、カップに水を入れ、それをレンジで温めるらしい。

 

これこそ文化の違いだろうが、口にするものは変わらない。

 

 

 

短時間で急ぎ足だったが、満足した。

 

明日からの朝ドラも楽しみが増えた。

 

 

 

ひよこ…かわいい。

 

 

 

 

では。