12月31日、急遽…病院から呼び出しがあった。

(写真は本文とは無関係のものです)
新潟で一人暮らしだった義理の叔母が認知症になり、
我が家に引き取ったのが13年前。
その後、施設に入所してからも転々として、この病院が終の棲家だった。
直ぐに病院に駆けつけ、結局、大晦日の夜、息を引きとった。
あれから慌ただしい1週間が過ぎた。
ご主人と死別し、子供がいなかった。
長いこと一人暮らしだった。
認知症の症状が出て、周囲の人たちからの連絡で愚妻が新潟を訪ねてみた。
このまま新潟に一人で居させるわけにはいかなかった。
住民票を我が家に移し、共に暮らした。
認知症の症状は徐々にだが進んだ。
警察の方が、我が家の近くにはパトカーを留めないで、
そっと送ってくれたことがある。
首から下げていた名札について、
出来れば背中に縫い付けてください…そうアドバイスされた。
やがて施設にお世話になった。
長かったような気がするが、この間の愚妻の苦労を見ていただけに、
なんだか気が抜けて、ホッとした様な空しい気持ちになった。
が、ボーとしているわけにはいかない。
近所の葬儀社に連絡した。
何度かセミナーにも来ていただいている会社で、
実は家内の母の際もそこでお葬式をやらせていただいているし、
以前の仏壇も購入していた。
12月31日の夜10時半頃、病院に来ていただき
葬祭ホール隣接の家族葬用の部屋を借り、そこに安置した。
年が明けるころ、自宅に帰る。
子供達の面倒は娘夫婦が見てくれたが、
親族が近くに居て有り難いと思った。
翌1月1日に詳細な打ち合わせ。
以前からある程度家内と決めていたが、
火葬式のみで家族だけで荼毘に付すことを決定。
いろいろ事情もあり、僧侶も呼ばずに無宗教だ。
そしてこの日、関係者は全て面会に来てお別れをした。
火葬場の予約は3日(火葬場営業は4日)からだから、
出棺の日取りが決まったのは3日の朝。
6日の朝10時からの火葬と決まった。
火葬後、皆で食事を摂った。
無宗教だが法宴でいいだろう。
年末年始は、こうして過ぎて行った。

年賀状はとっくに出していた。
今さら引き返せない。
お節料理も拵えていた。
だが、神社にはお参りしていない。
何だか変な気分だ。
まあ、こういう対応はアナログにはできない。
この時代、やっぱデジタルだな。
まだまだ諸手続きが残っており、落ち着くのはもう少し先だろう。
思うことが一杯あった年末年始になりました。
では。