1995年1月17日…24年前。
私は品川の現場で葬儀の担当者だったから、その日のことは鮮明に覚えている。
前日、35歳の私は通夜が終わり後片付けをして、
いつものように司会が始まる前にYシャツを着替えるので、
帰宅時はクリーニング屋へ寄ってYシャツを出し10時頃帰宅。
当時は川崎に住んでいたから車通勤だった。
まさか翌日、あんなことが起きるとは知る由もない。

全国に続々と葬祭ホールが建ちはじめた黎明期。
講師業は細々と始まっていた。
これから年配者が増え続け、葬祭にスポットがあたるだろうと言われた時代。
俳優業に見切りをつけ、葬祭関連の仕事で何か出来ないかと模索していた。
司会だけを頼まれたり、担当者として受注から全てを任されたりと、何でもやった。
解剖のお手伝いだけを1日中というのも多かった。
「花環ばかりでごめんね」等と言われながら、
花環とテントばかりの力仕事をを頼まれたり…
特に都内南西部では、花屋、返礼品、料理屋など、恐らく全て網羅していたので、
担当者として全て依頼される方が、自分のやり方で進められるので有り難かった。
11時から葬儀、出棺は12時半。
1時間半前にはスタンバイが終わるのが常だから9時半には準備完了が基本。
しかし、それ以前に1度現場を確認するのが習性だから8時頃現場を訪れていた。
8時半、そのまま葬儀社へ出社。
皆がテレビに釘付けだった。
大変なことが起こった。
テレビの映像は残酷だ。
日本での出来事とは思えない。
ショックで震えた。
大阪や兵庫に親戚がいたから心配だった。
落ち着かない気分のまま葬儀、出棺、収骨、繰り上げの法要と続いたが、
その日は皆がソワソワしながら過ごした記憶がある。
あれから約4半世紀か。
時が過ぎるのは早い。
毎年のことだが、犠牲になられた方々にご冥福をお祈りします。
合掌