僕は、何者? (井手)

 

今年の28日に記事を読んだ。

 

気になって仕方がなく、その場で中味だけをスクラップした。

 

恐らく朝日デジタルニュースだと思います。

 

記者は渡辺純子とある。

 

 

 

以下、記事からの抜粋である

 

「たどった戸籍、古い新聞記事、触れた思い」

 

 

 

今年1月、男性はこの電話ボックスを訪れた.

 

男性(22)は1月、西日本の山すその町にいた。

 

山頂に続く国道をのぼっていくと、海を見下ろせる場所に出た。

 

 

 

 「あった」

 

 

 

目の前に、電話ボックスがある。

 

しばらく見つめた。スマートフォンを取り出し、シャッターを押した。

 

 

 

23年前の春。ここで、へその緒がついたままの赤ちゃんが見つかった。

 

タオルにくるまれ、紙袋に入れられていた。

 

それが、生後間もない男性だった。

 

 

 

17歳のとき、父に本当の子どもではないと言われた。

 

親が寝静まった夜、母子手帳を探し出した。

 

名字が修正液の上に書かれていた。

 

裏からライトをあてると、別の名字が透けて見えた。

 

 

 

大学で一人暮らしを始め、戸籍をたどった。

 

見たことのない住所があった。

 

20歳のとき、初めて訪れた。

 

詳しいことは、わからなかった。

 

 

お金がなかったのだろうか。

 

若すぎたのだろうか。

 

ぼくは生まれてきてよかったのか。

 

 

 

古い新聞記事を手に入れた。

 

《電話ボックスに赤ちゃん置き去り》。見出しにそうあった。

 

今年1月の再訪で、初めて電話ボックスのある場所にたどり着いた。

 

 

 

「ご存じですか……。23年前、そこの電話ボックスに赤ちゃんが捨てられていたと思うんですが」

 

 

 

庭先でミカンを取っていた女性に尋ねると、

 

竹やぶの向こうに住む人が詳しいと教えられた。

 

訪ねた先で思わず声が出た。

 

表札に、修正液の下に書かれていた名字があった。

 

 

 

居間に招き入れられた。コタツをはさんで座ると、家主が言った。

 

 

 

「私がお名前をおつけしました。健康に育ってもらうように、と」

 

「名前をつけて下さった方に会えるとは思いませんでした」

 

 

 

声を上ずらせる男性を前に、家主は目を細めた。

 

 

 

「立派に成長なさって」

 

 

 

家主は役場の元職員だった。

 

通報をうけて現場にかけつけた。

 

名前をつけ、自身の名字と一緒に、母子手帳に載せたという。

 

生みの親のことは知らなかった。

 

 

 

海を見下ろす場所に戻った。

 

電話ボックスをもう一度、見た。

 

目の前の道路は、車が頻繁に行き交っている。

 

隣には公民館がある。

 

公衆電話は集落の人たちがよく使っていた、と聞いた。

 

 

 

生きてほしかったんだ――。

 

思いに触れた気がした。

 

 

 

男性はこの春、就職で東京に出る。

 

 

 

以上。

 

 

 

間もなく4月だ。

 

新たな旅立ちと別れの時だ。

 

それぞれに様々な思いを抱えながら、新しい環境へ巣立って行くのだろう。

 

この男性に幸あれ…心から祈りたい。