この話知らなかった (井手)

 

 

 

あの東日本題震災が起きた後の今なら…

 

もしかしたら同じように行動することができるかもしれない。

 

だが、あの時の状況で、それができるだろうか。

 

それも瞬時に。

 

 

 

宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)保育所近辺の地図

 

朝日デジタルより、抜粋

 

(石橋英昭 編集委員)

 

「責任はとる、行って!」 子ども54人守った保育所長

 

津波で建物が流失した閖上保育所跡(2011年3月18日、宮城県名取市閖上6丁目、名取市提供)

 

この春8年ぶりに再建され、幼い声が戻ってきた宮城県名取市の閖上保育所。震災の日、11人の職員は、54人の1~5歳児全員を海のそばから避難させることができた。子どもの命をどう守ったのか。当時の所長が証言する。

 

 

漁港まで260メートル、築40年の古い保育所だった。

 

 

地震が起きた午後2時46分は、お昼寝の時間。佐竹悦子所長(67)は外出先で揺れに見舞われ、目の前で電柱が揺れ、車庫がつぶれるのを見た。道路からは水が噴き出していた。

 

 

「保育所はダメかも。一緒にいられなくて、ごめんね」と思った。

 

 

車で引き返すと、建物は無事だった。園庭にブルーシートを敷き、パジャマ姿の子どもと職員が集まっている。全員が一斉に佐竹さんの顔を見た。

 

 

2時55分。三つのことを簡潔に告げた。迷いはなかった。

 

 

 

1 逃げます。

 

 

 

2 車を持ってきてください。

 

 

 

3 (閖上)小学校で会いましょう。

 

 

 

佐竹さんは子どもたちの上着をかき集め、パジャマの上から着させた。職員5人が駐車場から自家用車をつけ、クラスごとに乗り込む。1台に大人2人と子ども数人、大きなバンには十数人。ひざの上に別の子が乗り、その前にも立つ。

 

 

ぎゅうぎゅう詰めの車を駐在所でとがめられたらどうする? 「あとで所長先生が責任をとる、って言いなさい」。津波が来なかったら笑い話にすればいい。

 

 

「行って!」

 

 

出発を見届けた佐竹さんは、児童の個人情報ファイルを、ゆがんだ棚からなんとか取り出した。迎えに来る保護者のため、「小学校にいます」と油性ペンで書いた紙を貼り、1・5キロ内陸の閖上小へ。

 

 

3時20分、全員が集まった。小学校には住民も来ていたが、緊迫感はまだない。3階建て校舎の屋上に先んじて登った。

 

 

そして約30分後、車や人を巻き込んだ津波が到達。子どもを真ん中に集め、見せないようにした。雪がまもなく降り出した。

 

 

夜は3階の視聴覚室で過ごした。親と合流できず残った子どもは19人。校舎内からかき集めた画用紙やクレヨンでお絵描きをさせ、手遊びをした。数人いた発達障害の子を落ち着かせるため、段ボールで囲いもつくった。

 

 

いつもの保育所と変わらない。泣く子は誰もいなかった。窓の外では火の手が上がり、爆発音もした。午後8時には、職員のひざで全員が眠りについた。

 

 

マニュアル改訂直後 「奇跡 偶然ではない」 どう備えていたのか。

 

 

震災前年まで、閖上保育所の避難マニュアルでは、50メートルほど先の3階建て漁民アパートに、徒歩で逃げることになっていた。

 

 

2010年5月、職員らは地域の防災訓練に参加。町内会長から「昭和三陸地震(1933年)で、閖上も3メートルの津波が来た」と聞かされ、皆不安になった。保育所の毎月の打ち合わせで、マニュアルを見直してゆくことにした。

 

 

漁民アパートの階段は狭い。逃げる時、何組かに分かれるのはまずい、との声が上がった。一番近い指定避難所の公民館はどうか。いや、街なかで地域の大人が大勢来る。発達障害の子が大声を出すと、居づらいのではないか。

 

 

消去法で残ったのが、運動会などで子どもたちがなじみがある小学校。距離があり、車を使うしかない。職員は、渋滞を避ける裏道ルートを各自考えた。

 

 

そうやって避難マニュアルを改訂し終わったのは2月。直後、大震災は来た。

 

 

「奇跡は偶然では起きない」。各地の保育関係者の間で講演活動を続ける佐竹さんは、そう強調する。

 

 

職員が考え、努力し、訓練した結果。何より「子どもの命を守る」という保育の基本を共有していたからこそ、できたことだ。そして、ふだん通りでいてくれた子どものパワーにも、助けられた。

 

 

その年の退所(卒園)式は、避難所だった館腰小の体育館に集まって行った。当時の年長組が、いま中学3年生になる。

 

 

以上。

 

 

 

女性ならではの凄い判断力だ。

 

男性だと様々な柵もあり、どうしても揺れてしまう。

 

今なら、結構いるだろうが、あの時点では難しかったはず。

 

瞬時に物事を判断する能力に長けている、というか本能に近い。

 

この本能を信じたい。

 

ただ、「奇跡は偶然ではない」の言葉が身にしみる。

 

それがあっての本能だから。