九州の田舎で育った私がまだ小学生の頃、友人の中に農家の息子さんがいた。
遊びに行くと、トイレは家の外と内にもある。不思議な気がしたものだ。
今でいう台所は広い土間で、大きな窯に飲み水が入れてあり、やけに冷えていた。
多分、井戸水を汲み上げたもので美味かったのを覚えている。
水道も勿論あるのだが、竈(かまど)もあって何となく古めかしい気がした。
今なら大変立派に思えるだろうが、当時小学生の私には時代がかって見えたものだ。
特に、炊事革命が起きていた時代だからそう見えたのだろう。
電気釜・プロパンガス・都市ガスなどが、人々の生活を一変させていた頃だ。
電気釜は確実に米の味を落としたのではないかと思われるが、
「ご飯炊き」から人々を解放したのは実に素晴らしい。
その後、洗濯機や冷蔵庫やテレビや自家用車と便利な世の中へと変貌を遂げる。
この発展の起点の一つではないかと思うのが昭和22年(1947年)、
占領軍の司令官マッカーサーが強行した「農地改革」だったのではないだろうか。

学校で詳しく教わった記憶はない。
簡単に言うと、地主が自分で耕作しない土地を取り上げ、
ただ同然の安値で農地を小作人に与えたものだ。
農地の買収・譲渡は1947年(昭和22年)から1950年(昭和25年)までに行われ
最終的に193万町歩の農地が、237万人の地主から買収され、
475万人の小作人に売り渡された。
譲渡された小作地は1945年(昭和20年)11月現在の小作地(236万町歩)の8割に達し、農地に占める小作地の割合は46%から10%に激減し、
耕地の半分以上が小作地である農家の割合も約半数から1割程度まで減少した。
これにより地主制度は完全に崩壊、日本の農業は大きな転換期を迎えたのだ。
日本政府も同じようなことをやりたかったようだが、
当時の地主層は、財界人、皇族、華族などでやはり抵抗があり、
自国の人間にはこれほど思い切ったことはできなかっただろう。
マッカーサーに感謝すべき点だ。
マッカーサーも色々と考えがあったのだろう。
反共政策としての意味もあっただろうし、
米国の農産物を日本へ売りたいという思いもあったのかもしれない。
それでも日本の小作農家を大量に救ってくれたことは大事件である。
では。