被災した方々に向き合わない判決があるのだろうか?
朝日デジタルより
2か月ほど前の9月19日、東京電力の役員(旧経営陣)の刑事責任を問う裁判の判決で、東京地方裁判所刑事4部(永渕健一裁判長)は、勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長の3名被告人に対して、いずれも無罪とする判決を言い渡した。この事件の公判を通じて次のような事実が明らかになって…
(以上)
このような書き出しで始まる、東京電力旧経営陣の刑事責任を問う裁判の判決。それによると全員に無罪が言い渡された。この結果は市民感覚から納得できない。言い分はそれぞれあるだろうが、自然災害に加え、更に被害を拡大させた責任が全くないというのはどこかおかしくないだろうか。完全に無罪は疑問だ。
福島とは違うが「宮城県に東北電力の女川原子力発電所」がある。
2011年3月11日、東北地方の太平洋沖でM9.0の巨大地震が発生。
女川原子力発電所は震源地に近く、地震の揺れは大きかった。
地震に伴って、高さ13mの津波が女川を襲う。
この津波は福島第1原子力発電所を襲った高さ14mとほぼ同じだ。
しかし、女川原発は地震・津波の襲来から耐え生き残ることができた。
それは準備を怠らなかったからである。

以下、ネットから学んだことだが…(出典が不明で申し訳ない)
女川原子力発電所は石巻市の中心から東南東17kmのリアス式海岸に位置する。
福島第1原子力発電所の事故原因が議論される中で、869年の貞観地震が話題として登場した。これは、2011年3月の少し前の時期に地震の影響を検討する委員会で貞観地震が採り上げられたと報道された。そのため、貞観地震についての知見は極めて最近のことと解釈していた。その結果、東京電力の関係者が新しい知見を原子力発電所の安全対策に直ぐに盛り込むことは難しかっただろうと考えた。
しかし、女川原子力発電所を調べる中で、貞観地震の存在が、関係者の間では、かなり昔から知られていたことを知った。
このような背景の中、勇気ある侍「平井弥之助」という人物にスポットが当たる。
今から40年前、東北電力の人々は貞観地震で発生した津波のことを調べていた。
平井氏は他の人達が想定した津波の高さよりも高い津波に備えることを強く主張し、
自分の意見を実現させた。その結果、女川では主要施設が標高14.8mに建設された。
巨大地震、巨大津波を想像する柔軟な思考、信念を曲げずに他を説得する情熱・説得力を備えた人材が存在したことを忘れてはならない。
それを実現させたのは津波への畏怖である。
三陸地方は過去に何度も津波の被害を受けていたため、津波の怖さを多くの人々が共有していたと思われる。三陸地方の人々にとって津波は常識であろう。それであっても、2011年3月11日の津波は過去100年の言い伝えを超えた規模であったため、多くの人々が犠牲となった。
東北電力の関係者は津波の歴史や津波の怖さを何となく心の奥で理解していたと想像する。そうした背景があったからこそ、平井氏が主張した津波対策の強化を最終的には人々が認めたのであろう。
津波に対する畏怖がないこと、巨大な津波を想像することができなかったことが津波に対する備えが甘くなったことの背景だ。自分が住む地域ではないため、防災に対する想定が甘くなったのではないか。
だからと言って「無罪」は違うだろう。
経営陣の想像力の欠如、判断力の甘さは明らかではないのか。
平井弥之助、このような人物を尊敬する。
では。