復興に思う (井手)

 

 

昨日は東日本大震災の追悼慰霊祭が大幅に縮小された。

 

弊社の司会者 I も諸々準備をしていたが、

 

8年連続で伺っていたのに9年目、3.11を自宅で迎えるのが不思議だと…

 

猛威を振るう新型コロナウィルスの影響である。

 

追悼式典は9年目を迎えるが、人の記憶とは不思議なものだ。

 

50年前の父の死が、私には昨日のことのように鮮明に思い出されるのと同じように

 

被災者にとって震災は遠い昔のことではないだろう。

 

悼みを伴った記憶として風化することはない。

 

ロッテに入団した160k超えの投手・佐々木朗希選手は、

 

9歳の時に被災して父や祖父母を亡くしている。

 

悲しみは、相手の年齢など考慮しないものだ。

 

こういう子供たちが相当いるのだ。

 

 

 

私は年に何度か東北に伺う。

 

訪ねた先でタクシーを使うことが多いが、今まで様々なお話を聴かせていただいた。

 

テレビで紹介するような通り一辺倒の放送で知る話じゃなく、身につまされる話が多い。

 

被災3県とは宮城・岩手・福島のことだが、震災で特に甚大な被害を受けた県である。

 

この中で死亡者が一番少ないのが福島県だ。

 

しかし復興に向けて、その歩みが遅すぎるのも福島県であろう。

 

放射能はとても厄介だし、場所によってはご高齢の方は地元に帰還するということが

 

ほぼ不可能に近いのではないだろうか。

 

タクシーでよく耳にする話である。

 

そしてここからがテレビではあまり出ない話だが、

 

被災地域は2年目から補償に差がでるのだ(私の記憶では、金額が大きく違う)。

 

居住していた場所で、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域などに

 

同じ福島県内の被災者が、居住エリア毎に区分されたのだ。

 

この補償の違いで、住民同士の心に決定的な溝を作った…と言っていいものかどうか。

 

怒りの矛先が、原発は安全だと言い続けた専門家や政府に向かなくなり、

 

区域違いの同じ住民に向かうようになる…つまり分断されたのだ。

 

政府は確信犯だという運転手さんもいた。

 

余所の地域に住んでいる私にとって、話を聞いているだけでも悲しい。

 

人は弱い生き物、人の気持ちは金や差別に移ろいやすい…

 

 

 

今年は仕方がないが、来年は一区切りの10年である。

 

来年こそ何事もなく追悼式典を執り行いたい。

 

 

 

明日は、釜石の軌跡について。