昨日の続き
弥生時代…やがて日本はクニの時代に入っていき古墳時代を迎えるのですが、
この内乱の時代に巧くクニをまとめ活躍したのが女王ヒミコ(卑弥呼)です。
因みに「卑弥呼」と後漢の役人が「魏志倭人伝」に書き記したのは、
「ヒミコ」という音を聞いて「卑弥呼」と当て字したわけだから、
そこに何らかの意味があったのかもしれないが、
「卑」という文字に、当時として蔑むような意味合いがあったとしたら策略でしょう。
一説には、「ヒノモトノミコ」で「ヒミコ」つまり
「日ノ巫女」と書くのが正しいのかもしれない。
あー、取り留めのないブログになってしまった。
志賀島で発見された「漢委奴国王印」は置いといて、
卑弥呼が魏から貰って使用していたとされる「三角縁神獣鏡」に限っては、
中国から1枚も出土していなくて、日本で作られた可能性が高いのだ。
勿論、1枚でも発見されれば、また歴史が覆ることになるが…
元に戻そうとした話が、また変な方向へ行っちゃってる…今度こそ。

埋められた大量の青銅器は、何のために、誰が埋めたのだろうか。
また、どこで作られたものなのだろうか。
そして、本来武器だったものが祭器と変化して、
その後、大型化されていくのは、一貫して日本の宗教と似ている感じがする。
簡単に言うと、何でも威厳を保つために圧倒的に大きくするのだ。
古事記の中で、出雲神話が3分の1もスペースを取って書いてある。
気を使っているとしか思えない。
何故、特別な扱いを受けるのか。
国譲りの話は真実か。
10月を神無月、しかし出雲では神在月と書く。
文字がない時代ほど、言葉に思いが残るからね。
出雲は面白いなあ、だけど地元の人ほど鈍感で荒神谷遺跡は現在工事中。
もっと早くちゃんとしといて欲しいなあ。
現場に何度も足を運ぶのが刑事。
出雲に何度も足を運ぶのが私(笑)
私じゃなくても遺跡には、誰かが必ず訪れるから。
聞けば、観光地化するらしい…遅すぎるよ。
出雲は、まだまだ捜索するところが沢山あるぞ。
この地域を「神庭」…神の庭と書き、(かんぱ)と呼ぶのも、
直ぐ近くに「仏教山」が存在することも、プンプン匂う。
また、いずれ。
では。