2004年7月21日・22日・23日の3日間。
仙台駅近くの某ホテルで事件は起きました。
7月21日
んー、暑い。仙台も32度を越えた。
誰が言ったか知らないが、定年退職後にサラリーマンが住みたい場所は、仙台、静岡、広島なんだとか。それほど仙台は住みやすい場所のはずなのに…、雪も思ったほどは降らず寒過ぎもせず、夏だって過ごしやすいのでは、と思っていた自分が甘かった。
しかし東京38.1度のテレビの文字に目を疑う。次の瞬間、甲府が40度を越えたとのアナウンス…風呂の温度か ?
今度は耳を疑いたくなった。異常だ !
( 私は風呂でも39度位である )
東京で二日連続38度を超えたのは、観測史上初とのこと。
しかも最低気温が30度を越えたまま夜が明けたらしい。
猛暑に焼かれる首都東京…、これはもう単なるフェーン現象だとか、地球温暖化などの生易しい言葉では言い表せないだろう。大都市の不自然なコンクリートジャングルでのヒートアイランド現象に他ならない。
やはり、仙台は過ごしやすかった。
バテバテだとか休みがない、などと言いながらも、こんな暑い時期に東北を回れることに感謝して( ラッキー ! )、明日の講習会も全力を尽くすぞ、と。
7月22日
朝から大騒ぎである。
というのも、ホテルのフロントに昨日の昼前に出しておいたワイシャツのクリーニングが、出発の時間になっても出来ていない ! 事の顛末はこうだ。
午前10時、そろそろ出かける時間が迫ってきたので、今朝の6時には仕上がっているはずのワイシャツを部屋まで届けてほしいとフロントに電話を入れた。
「かしこまりました、ただいまお持ちいたします。」
ところが、5分ほどたった頃に部屋の電話がなる。
「申し訳ございませんが、ワイシャツは今日の夕方出来上がります」
「えっ ! ? 」
すでに私は、スーツのズボンを穿き、上は下着のシャツ一枚である。
「確かに頼んであるんだけど、どういうことですか?」
「ですから本日の夕方には仕上がります」
何だって ! 午前11時にはチェックアウトなのに夕方仕上がりのクリーニングを頼むはずがないだろう。私は確かに昨日の昼前にワイシャツをフロントに持参してクリーニングを依頼した。そして夜10時までに提出のクリーニングは、翌朝6時までに出来るということだったのだ。じゃなければ頼むはずがない。チェックアウト後に仕上がるクリーニングをどうやって取りに来るのだ。ましてやここは仙台だよ。
意味のない押し問答と、建設的でない侘びの言葉だけを浴びせられ、出発の時間だけが迫ってきた。
「何かワイシャツ持ってきてよ、これじゃ仕事に出掛けられないから ! 」
下着のシャツにそのままネクタイして、スーツ羽織って受講生の前に登場しろってか。まったく[ 全員集合 ! ]じゃあるまいし…。
と「ピンポーン」担当のフロント係が持ってきたのはクリーニング袋にぐちゃぐちゃに入れられ、少しばかり発酵しかけた私のワイシャツだったのだ。
「何かワイシャツ持ってきてよ ! 」って確かに言ったけど、これは…???
出し忘れていたのか ! ? 丸一日フロントに置いてあったとしか思えない。しかもこれを着ろと言わんばかりでる。 相手の神経がわからない、ものすご過ぎて、私の想像を超えている。
目の前では、担当の女性が申し訳ありませんでしたと謝りながらも、そのワイシャツの入ったぐちゃぐちゃの袋を丁寧に差し出している。
私は不覚にもここでやっと理解した。
このスタッフにはトラブル処理能力が全くないのだ。
困っているお客様に対して、クレームが怖いのか、ただひたすら謝り続けるという保身ばかりで、何も解決しようとしないし、そんな発想がないのだ。
数分後、マネージャーとやらが飛んできた。
とにかくワイシャツを用意して欲しい旨を頼む。新品なら購入するし、なければスタッフの何方かのモノをお借りして後日クリーニングしてお返ししますからと言った。
もちろん「クリーニングして…」のところを強調することも忘れなかったつもりだが。
案の定、新品の予備は用意していないとのこと。今時の葬祭ホールでもあるよワイシャツくらいと思ったが仕方がない。代わりにスタッフのモノを貸してくれるという。
「サイズは?」
「首周りは41で…」
2分後、再び登場したマネージャーが持参したワイシャツは、首周り40で少しサイズが小さい。が、これしかないと言い張っている。
完全にあきらめた。全員集合よりはマシだと思った。着てみた。鏡に映る自分がどこか間抜けで気力が萎えた。人間が一回り小さくなったように思ったのは気のせいか?
とにかく出掛けよう。講習会が待っている。人生山あり谷ありだ。でも、このネタでエッセイが書けると喜んでいる自分がいたのも事実だ。地方に行けばいろんなことがあるさ。ホテルを出て駅に向かいながら、「広瀬川、流れる岸辺…」と口ずさみながら歌ってみたりもしたが、一向に爽やかな気分になれない。
地下鉄に乗り、クーラーが効いた車両のせいか少し頭が冷えてきた。
私だっていろんな失敗をして、人に迷惑をかけながら今日まで生きてきたんだ。
お互い様、お互い様と自分に言い聞かせ、面白い体験ができたことに感謝すればいい。サイズが小さいワイシャツなんて、人生で滅多に着れるもんじゃないぞ。ツンツルテンの袖口をうまくスーツから出す仕草も少しずつ上達してきたし、受講生の前では途中から上着を脱いで、ワイシャツを捲り上げれば頑張っている感じも良く出るだろう。首周りが小さいので、汗だって思った以上に噴出してくれて、講師が一人で奮闘している様子だって醸し出される、かもしれない。
とにかく無事に講習会場まで辿り着くことが出来たのである。
さて肝心の講習会については、また後日…。

7月23日
気持ちとは裏腹に快晴である。
案外天気はこんなもんだ。最高気温が28度、やっぱ過ごしやすいわ宮城は。
実はこの講習会は二日間行われるので、もう一着ワイシャツが必要なのだ。今朝の一部始終を八乙女駅まで迎えに来てくれた事務局の方に話すと、紳士服の店まで案内してくれた。しかし私は二着購入しようとはしなかった。今日一日はどうしてもこのツンツルテンが着たくなっていたのだ。ハプニングを楽しむ心を養いたかったし、一日頑張って何か達成感が得られる気にもなっていた。
人間、明るく仕事をして、楽しく我慢しなくちゃね。
受講生はやや緊張気味でかたくなっている。宮城の人はおっとりしていて、すこぶる感じが良いのだが、もう少し積極性が欲しい。そういえば昨年の講習会も今頃で、何度も地震で揺れたなあ。通りから見える墓地の墓石のほとんどが傾いていたのを思い出す。
一日目終了。
共に講師を勤められた方と、事務局の方二人と私との計四人での夕食会では、明日の講習の打ち合わせや、近況報告とするうちに現場での四方山話になった。宮城では自宅や寺での葬儀がまだまだ主流であることから、自宅での幕張の苦労話や司会の体験談、葬儀の前に火葬を済ませる、前火葬の話などで盛り上がっていたが、埋葬の話で少なからず驚いた。当日埋葬が多いのは知っていたが、驚いたのはその方法である。墓にはカロート---地下の納骨用の棚みたいなもの---がなく、お骨をそのまま( 壷からも出すらしい )文字通り土に帰すらしいのだ。つまり墓石の下は、骨を入れるためのただの穴だという。お葬式にまつわる習俗は本当に全国さまざまで、いつも触れるたびに新鮮な気持ちになる。
二日目の講習会は、受講生も少しだけ積極的になり、それぞれの課題に熱心に取り組んでいた。休息時間の会話も弾みがちでなかなかよい雰囲気だ。
もっともっと頑張ってください皆さん ! 大変お疲れ様でした。
さあ久し振りの我が家へ戻ろう !
今日一日だけは家に泊まれる。四日ぶりだ。昨夜五歳になる息子が電話で照れていた。何てことだ !? 父親だぞ俺は。仙台駅で新幹線に飛び乗った。
…あー忘れもしないYシャツ事件。
こういうことがあるから人生は楽しい。
仙台の葬祭スタッフが、仙台人を代表して謝りますと言ってくれたが、
全然怒っていないよ、楽しんでるから…とやせ我慢した。
でも、ちょっぴり楽しんでいたのも事実です。