当時はこんな長文を直ぐに書いていました。
やはり若いですね。
読み直してみて、爆笑しております。
では、築地本願寺にて。
A「もし釈珍念(しゃく・ちんねん)だったらどうする?」
B「ちょっと恥ずかしいよなあ」
C「珍念はないだろう?いくらなんでも」
D「だって珍念さんって呼ばれるわけだよね」
B「子供に笑われそうだな」
A「結構受けるかもね」
B「・・・坊主になるのやめようかなあ?」
と、男たちは顔を見合わせて吹き出してしまう。
中仏に通う、いい年こいた四人の学生の喫煙ルームでの面白い会話である。
築地本願寺のこんなところで煙草吸ってます。

当然Aの発言が私である。
三年間の専修過程が終われば、得度習礼(とくどしゅらい)と言って、
京都の別院で11日間泊り込みの研修があるのだ。(朝は5時起きだって)
(この期間外部との接触は基本的に禁止、携帯などもってのほかだ、
私服もロッカーに入れられたまま、11日間着ることが無いそうだ)
その時だけは、真宗といえども頭を剃って(3分以下)参加しなければならない。
その理由は、一度は俗世と縁を断ち切るということらしい。
そして厳しい11日間の修行の最後の日に、もう一度頭を丸めて、
それぞれの法名(ほうみょう)を、有り難くご門主から頂戴するのである。
だから、自分がどんな法名になるのか、皆興味津々である。
通常は亡くなってから頂く人が圧倒的に多いので、
ご本人の意向は無視されるが、僧籍を目指す者にとってはそうはいかない。
私なんかは、カッコイイ名前以外はお断りしたいくらいだ。
(そういえば亡くなった人は自分の法名知らないもんね)
(注)一般には戒名の名で親しまれているでしょうが、真宗は法名です。
すると妙な噂が流れてきた。
真偽の程は確かではないが、これも時代の流れなのか、最近は本山でも、
複数の候補の中から法名を本人に選ばせることもあるそうだ。
そこへもう一つ、ビッグニュースも流れてきた。
自分で希望する法名を願い出れば、それを認めてくれることもあるらしい、と。
もちろん、これには正当な理由がなければならないらしいけど・・・。
すでに喫煙ルームはガヤガヤと満杯状態である。
これは良いことを聞いた。
だったら坊主になろうかな、と思うところが私らしい。
さて、ではまず運良く卒業できたとして、
そしてさらに、こんな私を所属させてくれる奇特な寺院が見つかったとして、
またまたさらに、11日間うまいこと私のスケジュールが抜けた日に
丁度都合良く、本山で得度習礼の受付があったとして・・・考えよう。
(条件かなり厳しいね)
ただ私はかつて野球部だから、頭を丸めることにはそう抵抗感はないのだ。
自分で自分の名前を考えられるなんて、人生でそうそうあることでもあるまい。
芸名の時だって、事務所にあれやこれや言われた挙句に弄り回され、
3度ほど改名している実績があるのだ。
字画がどうだとか、シンメトリーの名前が良いだとか、
語感がどうだとか、サインした時のカッコ良さがどうのとか、
屁理屈のような理由を数え上げたら枚挙に暇がないだろう。
さて、私には少しだけ名前にこだわる理由がある。
私は、園田家で産声を上げたにもかかわらず、(福岡出身ばい、よかよか)
親が出生届けを代書人(代書屋)に頼んだばかりに、
~昭和30年代前半には、筑豊の炭鉱地域ではそう珍しいことでもないのです~
ナント役所に出生届が出ていなかった、という実績を持っているのだ。
どうだすごいだろう!(自慢にならない)
因みに父が字を書いたところは一度も目にした事がない。
ということは、小学校の教科書や上履きやその他諸々も全て、
あーなんてこんなに多いのだろうと思いながら、私が自分で書いていた。
級友の持ち物に書かれた大人の字が、やけに上手に思えましたね。
本人は[園田一男]の名前で日常生活を送りながら、
(当然友達からは園田君と呼ばれていたのだ)
その実体、私は日本の人口に組み込まれていなかったのである。
つまり、戸籍がなかったのである。
どうやら代書人が、その日たまたま体調を崩しそのまま忘れてしまったらしい。
(本当かな?・・・後日聞いた話です)
なんと無茶苦茶な話だと思われるだろうが、真実だから仕方ない。
でもどうやって小学校へ入学したのだろうか?(不思議だ)
因みに幼稚園は、短気で癇癪をおこした私が先生の手に噛み付いて以来、
意地になって不登園が続き、卒園はしておりません。
(実質通園しておりませんでした)
父が亡くなってから大騒ぎになり、親戚が慌てていろいろと手配した直後の
戸籍を見ると、私は[一男]と名前は付いていましたが、続柄は同居人。
そりゃまあ、同居人には違いないけどさ、一応血の繋がった親子だからさ。
お役所の限界なのか、はたまた法律の壁なのか。
父の欄は×印で消してあり、死亡と記入されています。
つまり先方の言い分としては、私が父の子供である証明が必要なわけですが、
それがないから仕方なくこういう記述である、というわけです。
(私がそこで居住していた事実は存在する)
話が少し逸れますが、私は父と暮らしている間、一般紙(読売や朝日など)を
一度も見たことがありません。新聞といえば、スポーツ新聞しか知らなかった。
また保険証なるものに初めてお目にかかるのは、その先ずーと後のことです。
病院に掛かったことが、ないのでした。(偉い!)
せめて私を産んだ母の証言があれば、また違った展開になるということで、
それから大急ぎで母の捜索願をだしたのですが・・・で、
ここから[井手]に至るまでの話は長くなるのでまたその内に・・・。
(因みに母は京都生まれで、姓は[永光]と言います。ですから私は、
福岡と京都のハーフと言っておりますドスエ、オーキニ)
この時の私の氏名は、ただの[一男]、苗字が無い分逆にカッコいいなあ。
だってこの日本に苗字を持ってない人は、普通は天皇家だけだからさ。
自分で申請して、自分の名前が決められるなんてこれは素晴らしい。
ですから、あれこれと想像を巡らせることになるのです。
ここで、浄土真宗の法名について、少し説明しなければなりません。
釈というのは、まあお釈迦様の弟子になったということで、
真宗の場合、法名の頭には必ず[釈]の一文字がきます。
つまり法名は全て釈○○となり、(院号は別につくこともありますが)
この○○(二文字とは決まっていない)について、
自分の希望する名前を申請することができるのだというのです。
(中国のある一人のお坊さんからこの流れが始まりました。詳しく習ったので
すが、名前と時代が思い出せません・・・勉強不足でごめん)
では想像してみましょう!(こういうの大好きなんです)
「釈由美子」・・・きっと綺麗な尼僧ですね。
「釈日本代表」・・・面白いけど、これはちょっといけませんな。
「釈貫法」・・・何となく坊さんらしい名前ですが、身長や体重が一つの基準になりそうでまずいでしょう。(尺貫法)
「釈取虫」・・・導師入場の際、尺取虫のように五体投地・・・そんなアホな。
「釈柄杓」・・・これだと逆から読んでも同じだ。
「釈天才」・・・かえって馬鹿丸出し。
「釈K1」・・・ 腕っ節が強そう。
「釈F1」・・・ 飛ばしそう。おまけに車にうるさそう。
「釈MC」・・・司会が上手そう。
「釈ラモス」・・・熱血漢。
「釈利休」・・・お茶の作法にうるさそう。
「釈小朝」・・・法話が爆笑もの。
私が本願寺のご門主の家系に生まれてなくてホント良かったですね。
もし私が得度したばかりの僧侶の名付け親になっていたら、
こんな個性的な法名が普及していたかもしれません。
実は冒頭の「釈珍念(しゃく・ちんねん)」ですが、
(同名の方がいたらごめんなさい)
もし私がこの法名をいただいたとしても、きっと嬉しくて、
「はい、MCプロデュースの釈珍念でございます」
と、電話に出るに違いない。
私の性格だから、何気ない振りをして、ごくごく自然に、
「珍念」という名前を吹聴するに決まっている。
冗談はさておき、これから真剣に自分の法名を考えてみよう。
いいアイデアが浮かんだら、また紹介しますので。
(決して募集はしませんから余計なメールはいりませんぞ)
合掌。
<恒例の井手の割り込み>
恐ろしい話を聞きました。
得度習礼では、2時間程度の正座はざらです。
ただこれは、根性さえ出せば誰でも出来ますが、
すぐに立ち上がることはまず不可能。
しかし、作法の中ではすぐに立ち上がらなければならないものがほとんどです。
その時に、足が痺れて感覚が無くなりバタンと倒れる・・・までは良いが、
打ち所が悪くて骨折病院送り。
酷い時には、足首のアキレス腱断裂という事態もたまにあるとか・・・。
これって、結構シャレになりませんよね。
実に(げに)恐ろしきかな得度習礼!
ではまた。