2006年 葬儀司会を終えて (井手)

 

NHKの朝ドラのように、そのまま再放送とも思いましたがそれは無理。

 

2006年の頃は、私も講師業一本ではなく司会の現場に入っていました。

 

偶には田園調布のS葬儀社様(現在公益社)で担当させてもらっていましたが

 

因みに、中央仏教学院の僧侶養成コース卒業後に現場に伺うようになると、

 

僧侶の我儘と思える行動がやたらと目につきだしました。

 

 

 

 

 

参ったぜ。

 

無茶苦茶疲れました。

 

慣れない地方の葬儀は面白いけど、色々とありますなあ。

 

 

 

連絡を受けたのが27日の11時頃。

 

「明日(28日)と明後日(29日)・・・誰か司会者いませんか?

 

「えっ、何? どういうこと?

 

「オープン前なんですけど、もう仕事請けます。」

 

「・・・」

 

2月中旬のオープンのはずが・・・やっちゃうの? 大丈夫?

 

最後の研修で、全体の動きを確認する予定が、それも終わってないし、

 

一体スタッフは動けるのだろうか、そもそも物は揃っているのか。

 

 

 

・・・自分が行くしかないだろう(と神の声)。

 

・・・お前は関係ないじゃん、ただの講師だし(と悪魔の囁き)

 

右ハイキック一閃、神の声のKO勝利。

 

俺は責任感の塊だ・・・ということで、全てのスケジュールをお断りして、

 

とにかく新潟へ向かったぜ。ただし、新幹線の車中では

 

S山(担当者の氏名です)大丈夫だろうな」と100回位ブツブツ言ってたけど。

 

 

 

自分がしてあげられることは何か。

 

司会とFUNET・・・

 

司会だって新潟バージョンはよく分からないんだけどね。

 

パネルとDVDだけは制作出来るように急遽準備をしました。

 

 

 

近所のMUSASHI(看板のIが落ちてるけど)というホームセンターで、

 

あり合わせの物を買ってきて即席で作ったメモリアルコーナー。

 

Iが落ちてるだけに、愛のないお店でした・・・ごめん)

 

 

 

FUNETのイメージボードとフォトボードで構成してます。

 

因みに観葉植物は、事務所にあったものを流用しました。

 

ランプもバックの格子状の物も全てその場調達です。

 

次は、色々と揃えといてください。(頼むぜ)

 

 

 

入り口のエントランスには、DVD映像を流し、

 

その場で作成したメッセージボードと合わせてエントランスに飾りました。

 

 

 

弔問の皆さんは、映像を見たり、思い出の写真を眺めたり、

 

メッセージボードで時代を懐かしんだり・・・と、

 

故人を偲んでいただきながら、全体の空気感を演出しています。

 

 

ホールは流石に綺麗・・・新品だもん。

 

ただ実際に施行をして感じるのは、葬祭スタッフの新人教育の難しさ。

 

他の現場でも感じることですが、たとえ人数が少なくても、

 

ベテランだけでやった方が楽だと思いますからね。

 

しかしそれでは新人は育たない。

 

 

 

結果として、経験者に余計な負担が掛かり、肉体的な負担は何とかなるが、

 

精神的負担だけは、かなりの余裕がないと持ちこたえられないはずだ。

 

新規参入業者の、最初に越えなければならない壁を感じました。

 

私は遠くから、温かく見守りましょう・・・ホントに遠くだしさ。

 

 

通夜の終了後に試食会をしたが、料理は美味しかったですし、

 

メニューもかなり充実していた。

 

さらには温かいものを、温かいまま出そうというチャレンジはいい。

 

一つ意見を言わせて頂けば、料理は「味」と「サービス」。

 

味だけでは絶対ダメ・・・だと思います。

 

 

 

それにしても、テーブルサービス+バイキング料理、

 

さらにはカウンター付きの飲み物コーナーと設備は立派。

 

あとはどれだけこの環境を活かせるか。

 

法要だけなら、今すぐ使える(戦える)・・・そんな感じでした。

 

 

 

写真にはないのですが、霊柩車が白のリムジン。

 

遺族が楽に3人は乗れます。(これはいいね)

 

この地域では、初めての登場らしいですよ。(運転するのが恥ずかしい)

 

雪国で白のリムジン霊柩車・・・弊社のIなら依頼する。(間違いない)

 

 

 

 

 

きつい感想も入れときましょう。

 

坊主を甘やかし過ぎ、もしくは舐められています。

 

控え室にいるのに、関係のない翌日の通夜の打ち合わせをして、

 

葬儀の開式に平気で遅れて入堂するとはどういうことだ。

 

故人にも、遺族にも失礼だし、大切なセレモニーの時間を守れないクソ坊主。

 

(言葉が悪いのは勘弁してください)

 

こんな奴に引導を渡して欲しくはないけれど、他所の地域だし堪えました。

 

何様のつもりなのでしょうか?

 

(またまた勘弁してください)

 

 

 

ご葬儀当日の差上が独特で、

 

剃髪してから開式、(へえー、でもこれはわからないでもない)そして受戒から

 

大悲呪・入棺諷経・略三宝・棺前念誦・拳棺念誦・舎利礼文・三通ときて、

 

ここで一旦「施餓鬼会」の法要に入り、さらには「三十五日法要」へと流れ、

 

最後に葬儀に戻ってくるのです。(何で?

 

途中で朱蝋に変えたり、白蝋に戻したりと忙しい。(大変だ)

 

参列者は社葬でもあるまいし、延々と待たされ続けるのです。

 

 

 

一言アドバイス(うあー、また新コーナーだ)

 

司会をされる方は、少なくとも「略三宝」と「舎利礼文」は覚えましょう。

 

それだけでも式の進行が分かるので、とても楽になりますよ。

 

 

自分は平気で遅れるくせに、人を待たせるのは気にしない・・・ということか。

 

更には事前に担当者から聞いてはいたけれど、途中で休憩が勝手に入るかも・・・

 

そして当日も勝手に休憩が5分入りました。

 

勘弁してよ・・・こんな予測不能のセレモニー有り?

 

ここまで好き勝手にやられたら、逆に気持ちいい。

 

私が坊主になったら、間違いなく新潟へ転居する予定です。

 

(今回の僧侶は、他宗派ですぞ・・・誤解のないように)

 

 

 

これでは、葬儀社と寺との本当の信頼関係は生まれないでしょうな。

 

最初が肝心ですから、頑張ってもらいたいですな。

 

故人や遺族のためにも、言うべきことは言いたいね。(少しはね)

 

 

 

さて、取りあえず新潟から戻りましたが、また今日から新潟へとんぼ返り。

 

今度は研修です・・・多分・・・仕事が入ってなければ。

 

  

 

以上

 

 

 

新潟のお葬式で驚いたのは、火葬場に遺族・親族・親しかった友人と向かいますが、

 

火葬炉に入ると、25人を残して帰ってくるのです。

 

そして収骨を待たずに、法要が始まるということでした。

 

法要の途中で遺骨が戻ってくることもありますが、大体は法要の終了後らしいです。

 

その時には、もう酔っている人もいるはずです。

 

(受け入れられないというか)私は唖然とし、信じられませんでした。

 

多分、昔は田畑の仕事に忙殺されるとか村単位で事情があったのでしょうが、

 

(このようなやり方をする地域は他県でもございます)

 

現代でもそのまま?…故人が主役ではないのか、可哀そうではないのか?

 

色々と疑問に感じましたが、寺院がこのやり方を直そうとしないのが不明でした。

 

故人ではなく、寺が主役になっていなければいいが…と思いました。

 

その後、佐渡島に伝わる葬儀の風習「力結び(デバ結び)」を、焼香後にその場で食す…等々、飲食とお葬式の関係性の深さを教えられました。

 

 

 

ドンドン長くなるので、ではまた。