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真宗系のお葬式では「忌中紙・忌中札」の類は使用せず、代わりに「還浄(げんじょう)」と書かれた紙を使用する地域が多いのが目につきます。これに関する質問(セミナーなどで)も多くいただきましたので、改めて記しておきます。
「還浄」(げんじょうと読みます)について、真宗系のご葬儀では全国至る所で見かけますが、恐らくはお寺様の指導によるものではないでしょうか、「忌中紙・忌中札」の代わりに使われているようです。しかしこれは誤りです。様々な議論を経た後、2001年11月1日発行の本願寺新報(日付については記憶に誤りがあるかもしれません)で既に解決済みの問題です。よくお間違えの葬儀社の方がいらっしゃるようですので、ご注意されたほうがよろしいでしよう(忌中紙・忌中札を使えという意味ではございません)。
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この当時はあまり故人にフォーカスした商品がなく、個性が引き出せないでいた…と私は感じていました。司会のナレーション以外で、簡単に、安く、という思いで開発したのを懐かしく感じます。
では、追悼文に関してのエッセイです。
2004年10月30日
濃縮された遺族の想い(井手一男)
『ありがとうございました・・・』と深々と頭を下げられた。
その声は、心の底から絞り出された声だ。
喪主様が、男泣きの涙を拭おうともしない。
こちらの方こそ、喜んでいただけて本当にありがたい。
6時からの通夜に間に合うように、4時30分頃式場を訪ねた。
ご挨拶の後、早速FUNET追悼文をお渡しする。
食い入るように読んでおられた喪主様の目から涙が・・・。
そして押し殺した嗚咽が漏れる・・・
読み終えて、深く息を吐き出し、お礼の言葉を述べてくださった。
用意したFUNET追悼文が受付に置かれ、記帳された弔問客に配られる。
物珍しさもあるのだろうが、皆さんが読んでいる。
そして、開式前の式場がシーンと静まり返った。


(これはカラーサンプルです)
FUNET追悼文に目を通しながら、すすり泣く人もいた。
「遺族の故人への想い」が参列者に伝わっている。
「故人を偲ぶ」水先案内人をFUNET追悼文が果たし、ご参列の方々に
故人が偲ばれているのだと思った。
FUNET追悼文は、白黒のコピー1枚だ。
安価なだけに、見た目が豪華なわけではないし、パッケージのクオリティは低いだろう。
しかし、葬儀で人の琴線に触れるものは「想い」である。
「想い」とはイメージ、つまり「思慕」ということだ。
濃縮され、たった1枚の紙に込められた、故人への思慕に溢れているのが、FUNET追悼文であるということを確信した。
司会以外で現場に入るのは久しぶりだ。
視点が違うので違和感を覚えたが、普段は気づかない点が見えて勉強になる。
外に出たら、すっかり夜の帳が降りて、頭上では白い月が仄かに輝いていた。
遠くまで来た甲斐があった。
人生の 行方いずこと たずぬれば
母待つ里に 光りほの見ゆ
心からご冥福をお念じ申し上げたい。