2006年 記憶に残るエッセイ ① (井手)

 

2006年初め…謹賀新年 (井手 一男)

 

 

 

この数年間は、システム作りに必死でした。

 

その前が僧侶コースでしたから、ガラッとベクトルの向きが変わったと思われますが

 

そうではありません。自分の中では、双方とも同じ土俵にありました。

 

そしてこの翌年…

 

まあいいか、では。

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

さて、今年も始まりました。

 

既に業務に就いていらっしゃる方もいるでしょう。

 

それぞれに新年の目標を立て、気持ちを新たにされていることと思います。

 

私の今年の目標は、取りあえず上半期のみ決定しています。

 

FUNETシステムの充実。

 

これに尽きるんだあ・・・工場長には3つの具体的アイデアを出してある。

 

なるべく早急に実現化を目指します。

 

(具体的内容は秘密です)

 

それから年間のスケジュールですが、もう30件以上セミナーが決定しています。

 

穴を開けるわけにはいきませんので、特に病気には注意しなければ・・・。

 

2006年も頑張ります。

 

 

 

それにしても、どうしてお正月は・・・

 

よくよく考えてみたら普通の朝と何も変わらないのに

 

こんなにも神々(こうごう)しく感じられるのでしょうか。

 

怠惰な私でも、身も心も引き締まるような新春の雰囲気を味わうから不思議。

 

そんな感覚で書いた1月のナレーションプロローグがこれです。

 

 

 

晦日(みそか)の闇夜に梵鐘(ぼんしょう)が響き、

 

一本の直線で仕切られたかのように年が改まりました。

 

清々しい(すがすがしい)年の初め…。

 

どこか背筋を伸ばさずにはいられない、そんな尊さを感じます。

 

(猫背だからね)

 

 

 

あるいは、

 

 

 

除夜の鐘が新年の扉を叩いて、年が改まりました。

 

身も心も引き締まる新春…。

 

しかし新しい手帳の1ページに、悲しい別れを…

 

(自分は手帳も使わないくせにさ)

 

 

 

FUNET会員に配慮して、最近のエッセイではナレの露出を控えていますが

 

お正月だから少しくらい許していただきましょう。

 

これらは、FUNETのナレーション自動作成システムの1月の「新春」

 

カテゴリの中に格納されていますが、毎年こんなことを実感しますよね。

 

正月の神々しさ、清々しさは一体どこからくるものなのでしょうか。

 

 

 

そこで・・・正月とは何だ?

 

それは暦のトップ、カレンダーのトップ?

 

しかし厳密にはね、暦とカレンダーは意味合いが違います。

 

暦は、太陽や月という自然の運行を読み解いたもの。

 

カレンダーは、それを基にして月や日付、さらには祝日などを記したものです。

 

 

 

ところで、暦を作成する権限を持つということは、

 

世の中のスケジュールをプロデュースするということですから、

 

世界を創造する(支配する)のと同じ位の意味合いを持つ大変なことです。

 

ですから、長らく朝廷のものであった暦作りを、信長が奪おうとし、

 

結局は徳川幕府が奪取してしまうのです。

 

(支配権を持つのと同じことですからね)

 

 

折角のお正月ですから、少し脱線気味に暦の話をしましょう。

 

 

 

太陰暦・・・これは月の満ち欠け(月の運行リズム)を基準にした暦ですが、

 

月を基準にすると、見た目がとてもわかりやすいですよね。

 

しかし月の1周期は約29.5日ですから、12ヶ月に割り当てると

 

29日と30日の日が出てしまいます。

 

単純に12倍しても365日に約11日不足する。(12×29.5=354

 

ですから、3年に一度閏年(113ヶ月)を設けて調整しました。

 

11×3で約一ヶ月)

 

 

 

余談です

 

葬祭ディレクター試験問題に「喪中の期間は1年または13ヶ月」

 

とあるのはこのことなんですよ。(葬儀概論にも追記して欲しいです)

 

 

 

しかしそうなると、月日からは季節が分かりにくくなるでしょ。(ズレるからね)

 

そこでもう一つの基準として、太陽の位置から設けられたのが

 

春分とか秋分、夏至、冬至という節気(二十四節気)なわけです。

 

ですから、旧暦と一般に呼ばれる暦は、日は月の運行(満ち欠け)に従い、

 

月は太陽の位置に従って帳尻を合わせたもので、太陽太陰暦となるわけです。

 

 

 

またまた余談

 

「太陽と月」という言い方が一般的ですけど、

 

本来ならば、「太陽と太陰」というのが正解という説もあるのです。

 

 

 

ついでにもう一丁余談

 

月の満ち欠け29.5日は、4で割ると約7日となり、

 

これが週の起こりでは・・・とも言われている。

 

 

 

本来、1年の始まりは任意のはずです。

 

会社の年度始めも41日が多いし、日本の学校だってそうです。

 

また外国では91日が多かったりします。

 

ですから、正月が必ずしも全ての始まりとは限りません。

 

かつて紀元前のローマでは、マルチウスが正月であったといいます。

 

マルチウスとは、英語でマーチ・・・つまり3月が正月なわけです。

 

ということは1年の終わりの月が2月ということになりますから、

 

今も残る2月の短さは、閏月で帳尻を合わせたという証ですね。

 

だから古代ゲルマン社会では、冬至が基準になって正月がスタートした。

 

 

 

西洋に二十四節気はありませんが、冬至・春分・夏至・秋分の概念は共通です。

 

これに従って1年を4等分すれば季節であり、

 

あとはスタートをどこの季節の始まりに置くかだけです。

 

洋の東西を問わず、限りない恵みをもたらしてくれる太陽の盛衰には

 

人々は敏感だったでしょうから、太陽が再び勢いを取り戻す地点・・・

 

つまり冬至(今の暦の1222日頃)が注目されたのは自然の成り行きです。

 

日本の正月だって、冬至が基準になっているのは明白。

 

これらは太陽信仰の象徴であり、一年を通して盛衰する太陽の復活に当たる・・・

 

のが正月ということになりそうですね。

 

だって自然の運行を読み解く暦を基にして、カレンダーが作成されますから。

 

 

 

しつこく余談

 

太陽暦が全盛の現代においても、イスラム暦だけが太陰暦なんですよ。

 

何か民族間の紛争の根っこが深そうで・・・気が重いですね。

 

 

 

私の感覚では、正月は神事、盆は仏事。

 

しかしどちらも太陽信仰の形を変えた産物という気がしています。

 

それぞれが太陽の運行の盛衰に深く関与していますからね。

 

 

 

余談の締めくくり

 

ところで本日だけは24時間ではなく、24時間と1秒なんです。

 

そう、ナント閏年や閏月ならぬ、閏秒が発生するのです。

 

ま、地球の自転が少しずつ遅くなっているということなんですけど。

 

ですから時間に几帳面な方は、時計を1秒だけ戻してください。

 

天から、時間1秒のお年玉をもらった気分ですね。

 

 

 

あー、正月早々頭を使ったな、ではまた。

 

今年も宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

この翌年の正月、私は脳卒中で倒れます。

 

正月早々頭を使っているからいけなかった…というわけではありません。

 

油断をしていた私がいけなかったのです。

 

遺伝的に可能性を否定出来ないのに、自らのこととなると…

 

その話は、来週。

 

では。