コロナでもお葬式で「お別れ」出来るのでは? (井手)

 

ウイルスの実態と合わない対策 過剰な恐怖広げた専門家

 

文中に

 

「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

 

という記事があり、実は私も同じ意見に近いものですから、紹介させてください。

 

 以下、711日 朝日デジタルより抜粋

  

新型コロナウイルスへの対応をめぐり、「専門家」のあり方が問われている。「正しく恐れる」ために欠かせない情報をきちんと示さず、社会や経済の混乱につながっているという。どういうことなのか。国立感染症研究所(感染研)や米疾病対策センター(CDC)などで研究してきたウイルス学者、西村秀一さんに聞いた。

 

 

 ――日本社会の新型コロナへの対応を批判していますね。

 

 「実態と合わない対応が続いていることを危惧しています。亡くなった方を遺族にも会わせずに火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけです。私は『もうやめよう』と提案しています。コロナ対策の委員をしている宮城県の会議でも訴えました」

 

 ――どこが問題ですか?

 

 「まず強調したいのは、病院と一般社会は分けて考えるべきだという点です。いまはスーパーでも病院で使っているフェースシールドを着けていますね。しかし、ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院と一般社会では、ウイルスに遭遇する確率が全然違う。厚生労働省が6月に実施した抗体検査で、東京の保有率は010%でした。そこから推測すれば、街中そこかしこでウイルスに遭うようなことはありません」

 

 ――東京では1200人を超える感染者が出ています。ウイルスが街中にいないと言えますか。

 

 「東京全域を一律に考えるべきではありません。いま感染者が出ている多くは、限られた地域の特定の場所の関連です。市中感染があっても人口1千数百万人に比べればそれでもまだ数は少なく、ウイルスが街に蔓延(まんえん)しているわけじゃない。社会での感染対策として、リスクの高いところからつぶしていくことは可能です」

 

 ――なぜ実態と合わない対策が続いているのでしょう。

 

 「突き詰めて考えると、専門家の責任が大きいのです。例えば、接触感染のリスクが強調され『手で触れる』ことへの恐怖が広まっていますが、ウイルスと細菌の違いが軽視されています。細菌は条件が整えば自己増殖して一般環境で長く残りますが、ウイルスは感染者の体外に出て寄生する細胞が無くなると、少し時間が経てば活性を失う。本当はウイルスは細菌より接触感染のリスクがずっと低いのです。なんでもアルコール消毒をする必要はありません」

 

 ――それでも、「プラスチック面で数日生き残る」という専門家の話を聞くと、やはり心配です。

 

 「確かにプラスチック面では比較的長く生き残るという論文はありますが、それは、面に載せた1万個弱のウイルスが最後の1個まで死ぬのに、34日かかったというものです。ただ、そこにある生のデータを細かく見ると、生きているウイルスは最初の1時間でほぼ10分の1に減っています。ウイルスの初期量が少なければ、もっと短い時間で感染リスクはなくなるのです。私たちは、まるで街中のドアノブに生きたウイルスがうようよいるかのようなイメージを刷り込まれている感じですが、それを証明した人はいません。百歩譲って存在していたとしても、数はそんなに多くないはずです。ですから、この論文の結論をそのまま一般社会に当てはめることは適当ではありません。学術論文を批判的に検証するのが、科学者の基本の『き』。それをもとにした議論が必要です。しかし、このところ『専門家』は論文の前提条件や仮定も飛ばして、そこにある数字だけを右から左へ流すばかりです。それでも世間の人たちは『専門家の言うことだから』と信じて、何でも怖がってしまいます」

 

 

オンラインでインタビューを受ける国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長=2020620日、仙台市宮城野区、小玉重隆撮影

 

 ――リスクが低いと聞いても、不安に感じてしまいます。

 

 「世間の人がそんな不安を抱くのは、専門家がきちんとリスクを評価して、社会にそれを伝えていないことに原因があります。リスク評価の根幹は、具体的な確率を検討することです。例えば、感染者のせきでウイルス1万個が飛んだと仮定しても、多くは空気の流れに乗って散らばり、机などに落下するのは1センチ四方あたり数個。では、それが手に付く数は? 鼻に入る確率は? 時間経過でもウイルスは減る。こう突き詰めるのがリスク評価なのです」

 

 「『可能性がある』と語って人々に対策を求める専門家がメディアで散見されますが、キャスターや記者は『それなら感染する確率はどれぐらい?』と問わなきゃいけない。専門家に課されているのはリスク評価です。『可能性はあります』なんて誰だって言える。専門家なら、リスクがあるかないかという定性的な話をするのでなく、どれくらいあるか定量的に評価しなければなりません」

 

 ――ただ少しでもリスクがあるのなら、対策を取った方が安心ではないでしょうか。

 

 「『安全率』という考え方があります。現存するリスクの範囲で対策を取ると漏れる恐れがあるので、バッファーを設けるようにする。安全率を取るのはいいですが、どこまで取るかが問題です」

 

 「ゼロリスクを求めれば、『念のため』と対策もどんどん大きくなる。しかし、その下で数多くの弊害が出ています。人と人の関わりが無くなったり、差別してしまったり。職を失い、ウイルスでなく、その対策で命を落とす社会的弱者もいる。スーパーで買ったポテトチップの袋までアルコールで拭くのは、ウイルス学者の私には笑っちゃうような話だけど、笑えない。そんな恐れを広げた専門家に怒りが湧きます」

 

 「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

 

以下省略

 

ウイルス学者、西村秀一先生曰く。

「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

 

 

実際はどうなんでしょうか?

 

お葬式で、ご遺体からのクラスター感染は起きていないのではないでしょうか?

 

また、コロナでお亡くなりになられた方の搬送業務で感染された方はいたのでしょうか。

 

確かに、お亡くなりになれば呼吸はしませんからウイルスは排出されません。

一番危険なのは、口元、口の周囲には多くのウイルスが付着していると考えるべきです。

 

 

 

お別れ…させてあげたいなあ。

 

後悔はさせたくないですよ、お葬式で。

 

これまでも現状を踏まえれば、今までより、

 

ほんのちょっとだけ先に進んでもいいのではないかと思えます。

 

(私の個人的な意見で申し訳ないですけど)

 

 

では。